日本はダブルバインドである

平行線が交わらない国家原理主義において、
国家に従っても自分を殺すことになり、
自分を捨てなければならない。

これは自分か自分でないか。

これが自分でないもの、即ち、自己否定の自己責任である。

日本はこのダブルバインドに掛かっている訳だ。

   *。
ここでは国家の言いなりにならなければ生きられない。

はみ出せば、国家の否定となる。

*。
これが日本では、自分を生きると犯罪者になる原理だ。

自己否定を自己肯定としないものは、誰もが犯罪者となる。

*。
ここで自己を回復するものは、どうなるだろう。

多分、過激派やオウムや通り魔となるのではないか。

それを殺人者とをするころが国家原理主義であり、
それは自己否定を自己責任とする生き方のなるのではないか。

*。
日本人はこのダブルバインドの罠に掛かったのではないか。

これを抜け出すには、これを殺すことしかない。

     *。
これを逆読みすると、
成功し幸福で死ぬ人も、
誰かを殺しているのだ。

日本人はすべてが殺人者であり、
そこで殺人を問われないものと、問われるものがいる。

*。
これがお上日本構造だ。

これがパラレル・ワールドだ。

パラレル・ワールドはダブルバインドの隠蔽であった!

*。
国家はすべて正しく、それに逆らうものはすべて誤りだ。

この国家秩序を国家原理主義という。

ここでは国家殺しが絶えることはない。
それを断罪して、正しくなるものが、
殺人を強要する!

*。
即ち、国家原理主義は、殺人を強要する。
そこに国家原理主義は成り立つ。

即ち、国家の幸福は殺人に成立する。

永遠の作り方

お上日本は死が生を異物排除する世界である。
即ち、生は死の存在不可能という可能性である。

日本とは、死ぬことと見つけたり。
これに燃える人々がいる。

*。
ナチズムや大日本帝国は、死の本能を生きていたのではないか。
スターリン主義も死の本能だったのではないか。

民主主義は、死の本能ではなかった。
だが悪の本能を発動したようだ。

   *。
日本の政権交代は、死の本能の遣り繰りかも知れない。
秀吉→家康→明治維新→大日本帝国…。

こうすると死は永遠となる。

*。
すると日本人の長寿化は、苦しみの永遠化かも知れない。

*。
だがその対偶として、クール・ジャパンがある。

すると死の世界と生の世界が、合わせて一つとなる。
即ち、無である。

これが日本代数ではないか。

*。
世の中にスーッと現れ、スーッと消える。
これが日本理想なんだろうか。

      *。
無の片方は死、その片方は生、合わせて無。

日本の消え方のなのだろうか。

*。
これが絶対矛盾の自己同一化ではないか。

くりこみ理論では、何かをやっては消え、
そして再び現れては消える。

家の建て替えと同じようだ。

*。
これが永遠の負帰還ではないか。

即ち、人類を負帰還の中の火の玉とする。
これで永遠の灯が灯る。

そこには永遠がある。

      *。
正帰還は死であり、負帰還を入れるとそこに生が作られ、
そこに永遠が生まれる。

これがプルゴジン思想であろう。

死と生から作られる永遠がそこにある。
これが負のエントロピーを食べることだ。

*。
これで自己同一化とくりこみ理論が、統一的に理解される。

即ち、日本忍者の方法論だ。

仏教はパラレル・ワールドである

綺麗なものを表に出し、汚いものを裏に隠す。

これをパラレル・ワールドと称し、世界の若者が気に入った。
これこそが偽善と欺瞞の演技ではないか。

それが成立する条件は、笑いがあることだ。
これはベイトソン・メソッドだ。

皆で世界を楽しく笑う、
これこそ日米テレビ・メソッドだ。

   
    *。
その結果世界はどうなったか。

世界は悪党に丸投げされ、悪党のやり放題となった。
日本はその代表ではないか。

*。
世界を感動させ、身包みに剥がされる。

これがお上システムだ。

ここには社会がない。
飲む・打つ・買うのいい気持ちがある。

*。
これは人を獣にすることではないか。
人間性はない。

     *。
ここでやるいい気分って何だ。

感動と官能の世界ではないか。

*。
こんな世界を誰が作ったか。

仏教や儒教ではないか。

*。
現世をいい気分で溢れさせ、嫌な事は裏に隠す。

皆いい気分で極悪をやる。

    *。
日本パラレル・ワールドは、世界を引っ掛けたのではないか。

これをグローバリゼーションという人までいる。

*。
日本で当たり前のことを、世界は新世界発見といってるのだろうか。

西欧はこのようなやり方を知らなかった。

*。
だがこれで世界をリセットしているとも言える。

世界を出発点に戻す。

     *。
平行線の交わらない世界は、免疫原理主義であり、
これは完全異物排除の世界である。

法治国家は原理主義だ。
即ち、国家が絶対正しく、異物は全面排除する。

*。
ヨーロッパは負帰還があり、こうはならなかった。
弱者は殺されなかった。

アメリカ・日本は弱者を殺す。
つまりこれは国家原理主義の特性だ。

*。
国家の役立たずは死ね、
これが完全異物排除原理主義だ。

これがパラレル・ワールドだ。

    *。
それを人類皆友達として、共有化する。

感動こそ恐ろしいことはない。
その中に殺人が入っている。

*。
こんな世の中誰が作ったか。

仏教や儒教ではないか。

*。
仏教や儒教には社会がない。

人の苦しみを皆で分かち合い、それを共有する思想がない。

*。
こう考えると、自分だけよければいいとなる。
即ち、社会性がない。

幸福と殺人は恒等式である

日本においては、幸福と殺人は恒等式である。
それは対偶であって、同じ事象の見方の違いである。

この世は善悪からなり、
それを善から見ることと悪から見ることで違う。

木下順二氏は、35年前に言っていた。
「…例えば病院で安穏に死んだかに見える人の場合にも、
現代のひずみによってその人が殺されたという側面があんることを見落としてはならないち同時に、
このひずんだ現代の中でのうのうと生きている私たちが殺す側に、
無意識のうちに加担しているという側面を見落としてはならない…」

    *。
日本人は多数の殺人をやっていながら、
そこに幸福を九割以上の人が認めている。

幸福と殺人が日本では一体化して言る。

*。
日本では殺人事件が起きると、
殺せ殺せの大合唱が起き、
これに幸せを感じるのだ。

*。
太平洋戦争では、日本人ばかりか多数の外国人を殺傷していながら、
これを殺人と認識できない。

天皇陛下万歳といって、自決した人が多数いる。

日本人は殺す側にいる自分を認識できない。

      *。
即ち、日本は妄想である。

妄想によって、これらをいい気分で行える。

*。
自殺や他殺の絶対値を取れば、
これは人の死ではなく、絶対幸福に昇華できるのではないか。

そのような絶対感情は妄想であることを知らないのではないか。

*。
ここに幸福はは殺人でである恒等式が成立する。

ここには絶対感情がある。
だがそれは現実にはない。

それは幸福を超えた世界と認識しているのではないか。

*。
この種の絶対感情は妄想と言わざるを得ない。

日本はいじめ殺しシステムである

交わらない平行線を取る、
即ち、お上日本は免疫システムであり、
これに逆らう人たちを、完全異物排除する。

ここに美しい日本が出来る。

*。
この日本は美しいか、美しくないか。

美しさのために美しくない人を、完全異物排除する。
ここにある美は美しさか醜悪か。
ここにある幸福や成功は、美しいか醜悪か。

  *。
ゲーデル階型を取る。

これらは美しいとも美しくないとも言える。
ただ一つ正しいことは、人には魂があることだ。

*。
日本人の美しさには魂があるか。

日本人の美しさに魂があるとすることは無矛盾である。
だがそれを証明することは出来ない。

魂のある美しさと魂のない美しさがあるからだ。

*。
日本には、自分を殺し、他人を殺し、世界を殺す死の本能を、
美として検出する。

日本人とは、死ぬことと見つけたり。

    *。
やっと戦後は終わったのかも知れない。

*。
過激派が現れ、通り魔が現れた。

彼らのやっていることの対偶を取る。
彼らをお上日本とする。

対偶を逆に取る。
つまり、彼らをお上日本とする。

*。
彼らのやっていることは、お上日本の完全排除だ。

即ち、日本をリセットしている。

彼らはお上殺し、即ち、日本殺しをやっている。

即ち、この後に、日本と国民の対等が現れる。

    *。
国家と国民の対等化が彼らのリセットだ。

国家が国民を完全支配するこれがお上体制だ。
これからの脱出をやっている。

*。
即ち、国家による国民のいじめ殺し支配を止めさせている。

このリセットでまともな日本となる。

仏教儒教は妄想である

仏教・儒教には、社会が存在していない。

人の心をゼロに還元すると、それは社会のない恍惚世界だ。

そこにいくら恍惚としても、そこには現世がない。
いや現世を離れた恍惚、
これは妄想と言わねばならない。

ここに現世の問題は、置き去りにされ、
即ち、現世を悪党に野放しされる。

そこは悪の世界だ。

それを離れていくらいい気分のなっても、
現世を遁走し、子宮の中に潜るようなことだ。

     *。
仏教や儒教は、子宮の中でいい気分のなることだ。

現世の喜怒哀楽を去った世界のいい気分、
これを桃源郷というのだろうか。

*。
こういうあり方もある。

だが人が現世を脱走しては、悪がはびこる世界にしかならない。

*。
人が現世を離れ、
そこに人はいい人になる。

人は皆いい人だ。
そこには現世がない。

    *。
ここには現世を逃亡した人々がいる。

仏教や儒教世界は、現実からの逃亡であった。

*。
葬式仏教は、死の世界を意味していまいか。

それは心の闇を、幸福にしてくれるのかも知れない。
しかも戒名に値段がある。
偉くなるには高度の戒名が必要だ。
死さえ売り物になっているのではないか。

*。
死を売り物にする仏教、正に死の世界だ。
これが文字どうりの冥土なのだろう。

世界空間 不動点と特異点

人は生理的残存を図るシステムから、
知性的不動点を求める世界に展開した。

世界を正帰還する人類天動説は、
人類が負のエントロピーを食べる生命地動説に変わった。

*。
不動点は生命を不変ならしめる。
特異点は、人を排除する。
こう定義しよう。

     *。
こうすると、日本は日本を排除する特異点を生きていた。
即ち、日本は死の本能を生きていた。

特異点とは、死が生を異物排除する免疫世界であり、
死が生を存在不可能とする可能性となる。

これが殺人を幸福とするシステムだ。

*。
ファシズムで死の本能を排除したら、
今度は悪の帝国支配となった。
人類全体がこれに繋がっている。

まだ生に繋がらない。

*。
ファシズムやコミュニズムは、死の本能だったろう。

*。
死の次は悪支配、
これから負のエントロピーを食べる世界は移行する。

地球は壮大な展開に入った。

*。
これをやるのが日本忍者だ。

      *。
男の不動点、女の不動点、
これが合わさる男女の不動点、
これは天の川だ。

*。
男と女が、官能をゴシゴシやる官能の世界は、死の世界だったのではないか。

死んだ恋愛、それを生かす不動点恋愛だろう。

*。
こんな官能と時代物に感動する死の本能、
それを人は感動としていた。

恋愛は、シューマンとクララのように、天空を駆け巡るものだ。

   *。
世界空間の不変式に示す人間性が人間性だ。

これは世界を人の苦しみや孤独を資源として、
そこに人のコモンセンスを作り、
そこに人としての対応を決める世界である。

*。
日本にはこの社会性がなかった。

日本は世界に出産されなかった。
即ち、死の本能を生きていた。

これがお上日本だ。

*。
もっともこの対偶としてのクール・ジャパンがある。

それは神に世界に繋がっている。

それが日本忍者だ。
それはお上日本の対偶だ。

お上はオウムである

お上とオウムを入れ替えて見よう。
オウムが国家の場合、オウムは国家にどう振舞うか。

お上は人々に、傲岸であり、恫喝を生きる。

オウムがお上の場合は、水中浮揚と言った、
感動ナラティブを作り、人を優しく包む。

    *。
残酷なお上ナラティブと、優しいオウム・ナラティブとなる。

対称性が入れ替わった。
どっちがいいか明らかだ。

*。
オウムは、許されざる人殺しを非難される。

それを除くと、オウムの方が行けるのだ。

つまり、オウムはお上殺しであった。

そこには、殺されなければならないお上がいる。

*。
オウムはお上殺しの手続きであった。

これからこういう運動が起きる。
殺人故に、オウムは切り捨てられたが、
それは日本が、殺人幸福をとったことにある。

   *。
お上は、強盗殺人集団だ。
どれくらいの人が殺されるのだろう。
過労死、いじめ殺し、自殺強要、公害死、無実死刑…。
日本はこれらの総体だ。

*。
日本人の幸福は、これらの殺人の総体だ。
ここに日本人の九割以上が、幸福を感じる。

即ち、日本は幸福=殺人組織だ。

*。
日本には、認識論がないから、
これらを知ることなく、それを行う。

西欧の理論理性もこれを検知しない。
想定外だから。

    *。
日本人は、強盗殺人に幸せを感じる集団だ。

これが日本人だけが持つ左脳原理主義だ。

*。
即ち、虫を美しく聞くことと人を楽しく殺すことが、自己同一だ。
これが日本の絶対矛盾の自己同一性だ。

*。
アジア全域の強盗殺人に日本人は燃えた。

これが大日本帝国であった。
そしてこれは強盗殺人である認識がない。

これらは日本人の心からの日本に対する誠意であった。

*。
日本人はこれを非難することを許さない。

     *。
日本対する非難を異物排除する。

即ち、お上日本は、妄想であった。

妄想はそれに対する意義を一切異物排除する。

*。
西欧はころを出るために、国家と国民を負帰還した。

      *。
するとオウムは日本を異物排除するシステムだ。

これが対偶効果だ。

*。
すると過激派とか通り魔は、
お上日本に意義を申し立てる、
日本殺しとなる。

*。
お上はオウムであり、オウムはお上である。

ここからの脱出が問題だ。

人間の尊厳のパラドックス

子供を死なせないために必死の親、
子供を生かそうと必死の親。

お上日本は言った。
国の役立たずは死ね。

国の役立たずになったものは、
臓器を早く提供して死ね。

   *。
子供を守る親、
死なせたくない親と子供を守る親がいる。

ゲーデル問題にすると、
子供を死なせたくない親と子供と守りたい親がいる。

唯一つ正しいことは、人には魂がある。

*。
お上日本の決定は、国の役立たずは死ね。

だったらこれは話し合いの問題だ。

だがお上日本では、それでは間に合わない。
国の役立たずは死ね。

    *。
国の役立たずは早く死ね。

これは無矛盾の考え方だ。

従って、その無矛盾は証明されない。

*。
もしこれが真実なら、
生きているものも、国のために死ねとなる。

それが靖国かもしれない。

*。
日本にはパラドックスや矛盾とか世界認識がない。

真実はウソから作られる

科学技術などウソの塊だ。
これを実行して世界はおかしくなった。

日本ほど科学技術を真に受けた連中はいない。
アスペルガー症候群、
即ち、ウソや冗談を真に受ける。

     *。
光源氏が言った。
「女はウソを真に受けるからな。」

玉蔓が言った。
「ウソをウソと知って遊んでいるのですよ。」

*。
さーて、
光源氏がウソを真に受けているのではないか。

女はウソをウソとして遊ぶのだから。

即ち、日本人は皆嘘つきである、女を除いて。

*。
ここには遊びとしてのウソと本気としてのウソがある。

かくして、日本人人はすべて嘘つきである、日本人が言った。

紫式部はこの意味を言っていた。

      *。
ウソと本気にする嘘つきと、ウソを遊ぶウソつき、
頭ごしゃごしゃだ。

皆が嘘つきでいいじゃないか。

ではそうしましょうという嘘つき、
これはゲーデル階型を抜けた。

*。
さて困った。
自分は何を言おうとしているか、忘れちゃった。
バートルビーが始まった。

日本人はガキである、メモにそうある。

   *。
中国人は日本語を粘着語という。
中国のようにカラッとしていない。

それはそうだ。
日本は梅雨というべとべとの世界を生きている。

最近エアコンが入って、すっきりしてきた。
世界と通じる会話が出来るようになった。

*。
そして世界は世界空間の不動点を生きる時代になってきた。

男の不動点、女の不動点、
それが天の川で交わる。
男女も宇宙空間の世界に飛び出した。

*。
もう旧式の世界で考えるのは止めよう。

仏教は妄想である

仏教はゼロや無の発見であり、
これを現実に適応すると、現実は妄想となる。

すると一神教は、無限の発見である。
すべてを一にしてしまう。

これらを合わせると、加減乗除を達成した。
それが一つの群となる。

*。
これらをリアリティにして、世界はおかしくなった。

     *。
ゼロからの世界支配と無限からの世界支配がある。

*。
ここに間合いの問題が出る。

西欧人は間合いをメトロノームで図る。

日本人などは、間合いを呼吸で計る。

*。
日本音楽が西欧音楽に雑音になる原因がここにある。

西欧音楽には、間合いはメトロノームで計るものでなくてはならない。
日本音楽は、呼吸で図る。

*。
西欧音楽は、ここで量子化を達成した。

言葉や感情が、量子化された。

    *。
バッハの音楽は、量子化されている。
即ち、メトロノームで測られる。

*。
これで日本音楽が、西欧人に雑音になることが理解される。

メトロノームにきちんと乗る。
これが西欧音楽で、
呼吸でやる日本音楽は、メトロノームに乗らないので、雑音になる。

*。
西欧の言葉や感情は、メトロノーム化され、
ここでやる英語は、世界言語となった。

そこには量子化手続きがあった。

*。
メトロノーム化が、量子化であった。

呼吸でやっていては、世界共通化しない。

異物排除は静的善悪である

異物排除の日本美学においては、
不安を共に揺れ動き、これを言葉で固め、
これを葛藤に呑み込ませる。
即ち、言葉でくるみこんだ真実にまとめる。

ここにとんでもないことが起きている。
現世が悪党に丸投げされ、
それを阻止するものがいない。
現実が悪党の言いなりになる。

それを阻止するに、悪も暴力もいる。

何とそれらが、悪と暴力として排除される。
ここに絶対悪がはびこる。

    *。
日本では悪を妨げることが悪となる。

ここに静的善悪と動的善悪の区別がない。

*。
西欧では、動的善悪を開き、
悪を制圧する悪は悪とされない。

*。
即ち、善悪に動的と静的が会った。

日本は静的善悪を出ることはなかった。
ニュートン力学で、慣性を出なかった。

*。
西欧世界は、加速度の世界だ。

動的善悪を入れて、世界空間に展開した。

      *。
これが日本の閉じこもりだ。
または鎖国とも言う。
損失がないようで、すべてを失った。

これが日本の国家秩序だ。

*。
ダイナミックスがない。

皆死んでいる。
即ち、死は生の存在不可能という可能性だ。

これが日本の死の本能の正体だ。

*。
だがここに日本忍者が現れる!

表裏はパラレル・ワールドである

日本には日本がなかった。
日本は全体なき部分である。
即ち、空であり、無であり、仏性である。

日本左脳構造論で、
優しさと残酷は、対偶であり、
優しいクール・ジャパンと残酷なお上日本に分離する。

優しさと残酷、
平均すると空となる。

   *。
優しい残酷さが、お上日本であり、
ここにいじめ殺しの美しい花が咲く。

残酷な優しさが、クール・ジャパンであり、
ここに自分いじめの凄惨な修行がある。

*。
この絶対矛盾の自己同一が、日本忍者である。

これで人類を負のエントロピーを食う生物ならしめる。

     *。
お上日本は、優しさをパラレル・ワールドの表とする。

ここに残酷が発振する。

*。
クール・ジャパンは、残酷を表にし、
ここに美しい花が咲く。

*。
日本はこの偽善と欺瞞の演技集団だ。

シテは残酷であり、ワキは優しさだ。

これで日本能は、一つとなる。
これが外国に出ると、
始め優しく、中はぱっぱと燃え、後はちょろちょろと消させる。

*。
人を優しさで釣り、これを食い物にし、そして死体として始末する。

   *。
最近に若者はこれを抜けつつある。

日本では学校は、人を優しさで釣り、
これを食い物にして捨てるところだ。

*。
こんな制度を若者は捨てた。

孤独と絶望を資源とし、不安と葛藤を楽しく消費する。
この偽善と欺瞞の演技を止めた。

孤独と無力感と喪失感を楽しむ偽善と欺瞞の演技を止めた。
それを心のオアシスとする演技を止めた。

*。
人間性に抜けた。
若者は社会を持った。

人の悩みや喜びを共有する社会を持った。

    *。
ここに人々は、平行線の交わる世界に達した。

今までの日本社会は、
平行線の交わらない、異物排除の世界だった。

*。
表裏、建前本音、メビウス構造はパラレル・ワールドの言い換えだ。

*。
生理的日本は、知性化された。

生理日本は、精神日本に昇華した。

今の日本は、この大変革期にある。

*。
ここに自己を肯定する自己責任が成立し、
死が生の自己否定の自己肯定である死の本能を抜ける。

秀吉はオウムである

仏教や儒教は、
パラレル・ワールドの地下迷宮であり、
人々は皆繋がり、
仲良く、人はいい気持ちとなる。

だから何だって言うんだろう。

*。
日本は秀吉以来、強盗殺人国家であった。

そして草履伝説のごとく、それに人々は感動し、涙を流している。

即ち、日本人では強盗殺人が幸福だ。
弱者を食い物にし、これを殺して喜んでいる。

   *。
どうしてこうなるのか。

この責任は仏教や儒教にないだろうか。

*。
日本とヨーロッパを比較すると、日本には社会がない。

ここで人はどうして幸福になるのか。
それは強盗殺人の裏返しでしかない。

*。
これが左脳原理主義であり、即ち、日本原理主義だ。

ここを生きると、どうしたってオウムのごときが出てくる。

こんな連中が出てこなくするのはどうしたらいいのか。

     *。
日本にはこうした考えが全くない。

秀吉は一種のオウムだったのではないか。

それが国家を取ると、人を食い物にする。

*。
秀吉以来日本人はどれくらい殺されたのだろう。

秀吉システムは、殺人国家ではなかったのか。

*。
ここには秀吉を礼賛する人ばかりだ。

日本人の感動がどれくらい恐ろしいことか。

その対偶を取かって見れば分かる。

    *。
秀吉を称えたのは仏教ではないのか。

仏教は強盗殺人を称えていたのではないか。

*。
秀吉とオウムは同じではないか。

これに答えない訳にはいかない。

虚偽事件は悪性新生物である

何故虚偽自白がされるか。

今まである思考回路に、
新しい思考回路が作られるからだ。

*。
即ち、虚偽自白は、悪性新生物が作られるからだ。
つまり今までなかった思考回路に、
新しい思考回路が作られる。

そして容疑者はこの回路で考えるようになる。

    
    *。
イギリスでは、容疑者の取調べは三日以内と規定される。

それ以上やると、調べ官と容疑者が悪性新生物を作るからだ。
こうなると、事件の解明が不可能になる。

*。
日本では、長期に調べ、偽の思考回路を作るのだ。
そしてこの偽の思考回路で、容疑者が考えるようになる。

*。
これが栃木県警事件に示された。

     *。
裁判官はこれにどう対応するか。

DNA鑑定に形式的に疑義を挟む。
これが裁量権だ。

そして専門家の鑑定を尊重する。
これも形式的な心証判断だ。

その上で自白を検討し、自白に誘導がなく、信用でききると形式で判断する。

*。
即ち、裁量権判断と心証判断を往復する。
即ち、発振させる。

裁量権と心証を発振させ、結論は出ない。

即ち、裁判官は、眠りにつく。
意識を喪失させるのだ。

*。
すると有罪と無罪を足して、二で割る。

結果は何でもないとなる。

これが裁判官の眠りだ。

      *。
裁判官が眠っている間に、結論が出る。

これが絶対矛盾の自己同一化だ。

*。
裁判官の眠り、
これが無私無心に相当する。

それは既に国家の言いなりになることだ。
これで有罪となる。

    *。
裁判官はどう結論したか知らない。

だが結論が、国家の指示どうり出る。

これが無私無心で行われる。
これが国策判決だ。

*。
裁判官は、びた一文悪いことをしていないが、
悪いことをやるのだ。

つまり、これが絶対矛盾の自己同一化だ。

      *。
日本人の幸福は殺人である。

これがパラレル・ワールドだ。

*。
幸福は現世にあり、殺人は地下迷宮にある。

人は地下迷宮で繋がり、人は皆同じだとなる。

ここに人は癒される!
皆同じ友達だ。

*。
この強盗殺人が、日本人の幸せとなる。

これが一人称衝動であり、
幸福と殺人が、自己同一化している。

しかしそれが同一である認識はない。
日本には認識論がない。

   *。
一体化する、
即ち、皆同じになる。

これが人情世間体だ。

*。
皆同じ日本人、
これに背くといじめ殺される。

現代人は何でも解けるのか

現代人は何でも出来る。
この全知全能感はどこから来たのか。

これは単なる妄想である。
それを妄想としないことが病理だ。

   *。
人に危害を加えるものは、取り払え。

弱者さえ人類の災いとなった。
消えろ、これが現代文明だ。

強いものが勝ち残る、
これが現代文明だ。

*。
これをやるとコスト効果費はどうなるか。

弱者が圧倒時に強い。
強者は少数だ。

即ち、強者が生き残るために潰す弱者は多い。

だからいくら殺しても良い!

これが国家原理主義だ。

      *。
本当か。

ライオンは増えすぎると、自らに殺される。
これが生態系だ。

即ち、最適がある。

*。
強者が弱者を殺すとしても、
強者はそれなりに快楽にふける。

弱者退治を弱者にやらせ、
強者は快楽にふける。

そうは行かない。
強者の快楽は弱者退治だから。

*。
即ち、世界は強者の好きにさせない。
強者は威張り腐って、弱者を殺す。

    *。
これが秀吉システムだ。

秀吉も、弱者殺しの最適を考えた。

*。
これが草履伝説だ。

信長も生かしておいてから、殺すのだ。
そのために取り入る。

それが日本現代の政治だ。
随分長く持った。

*。
感動、その後に来るものが、強殺だ。

即ち、感動と強殺は一人称衝動で、同一化されている。

殺人が快楽である、
これが日本人の世界だ。

ここに日本は統一されている。
遂に生かさず殺さずとなった。

     *。
ここにはパラレル・ワールドは、発振安定を取る。

即ち、人を閉塞感と心の闇に閉じ込める。
ここに悪の帝国は永遠となる。

即ち、パラレル・ワールドは強殺であった。

*。
やっとこの出口が見つかった。

これは人生を恐れなき冒険とすることだ。

世間体に甘えることは許されない!

*。
即ち、現代人は全知全能に溺れている!

現代人が全知全能と言うことはありえない。
この妄想の世界を作って、文明を壊した。
やり過ぎたのだ。

日本人の真実

日本人とは死ぬことである。
国を守るために死ぬことは、日本人の義務である。

こういう発言に共感するものはどれくらいいるだろう。

これに共感する人は、世界で言う死の本能を生きているのだ。

*。
では生の本能はどういうことか。

現状で言うなら、悪を生きることである。

まだ人類としては、生の本能に出ていないのではないか。

    *。
朝永は言う、くりこみ理論は世界の必然性に根ざしたものだ。

つまり、世界は発散するように出来ている。
これを発散しないようにすることが、人の使命である。

朝永が言っているのはこれだ。

*。
宇宙は発散するように出来ている。

これを繰り込んで、負のエントロピーを生きつつことが生命だ。

*。
これが西田の言う、絶対矛盾の自己同一化だ。

人類は、世界に向けて同一化していない。
それをやるのが人類だ。

    *。
日本忍者の背負い投げ一本で、人類を生命同一化する。

そのために日本人は、死の本能を生きていた。

*。
もう一つ自分たちは神に選ばれた民族だというものがいる。

彼らもまた死に本能を生きているはずだ。

それを生に転換する。
これが負帰還同一化だ。

*。
こんなことで殺されないようにする。

これが負のエントロピーを食べる文明だ。

    *。
秀吉システムこそは、
姥捨てし、日本人を世界に棄民し、
人を公害に排泄する文明だ。

*。
つまり、人類世界をリセットする活火山であった。

世界の謎は解けてきた。

*。
今世界は人が負のエントロピーを食べる文明への転換期にある

   *。
こう認識しないと、人類は世界の藻屑として消える。

その選択期にある。

*。
人類が国家原理主義を生きると、原理主義は人類を殺す。

即ち、自殺を生きている。

*。
この脱出は、負のエントロピーを食べることだ。

夢と希望を不可能とする夢と希望

愛と希望は、愛と希望を不可能とする可能性である。
夢と希望は蜃気楼であった。

人が至る所で、この閉じ込めが起きている。

  *。
閉塞感と心の闇、
人はここに閉じ込められ、
死ぬまで悪の帝国に働かされる。

これが人類が、悪の帝国に閉じ込められた仕組みだ。

*。
立身出世や成功物語、
成功と幸福も、
自分だけの快楽を追う閉じ込めであった。

*。
これが原理主義の成果だ。

人は自ら原理主義を求め、原理主義に閉じ込められる。

これが理性帝国主義の成果でもある。

   *。
エゴイズムは、自分を悪の帝国に閉じ込める。

そして激しく戦い、
戦うと、これに勝つことが目的となり、
かって失うことの大きさを分からなくする。 

*。
意識は、一時に一意識しか入らない。

勝つことが目的となると、その結果を考えない。
勝ってどういうこともない。
それが分からない。

戦争勝利とはそういうことだ。
戦勝国アメリカも道徳を失った。

      *。
かくして人は自己を閉じ込める。

そこでしか考えられない。

*。
これが原理主義だ。

その外を考えない。

生理系では免疫は必要だ。
だが知性系の成立を阻む。

これらを鳥瞰する構造理性だ。

   *。
人は成功と幸福、夢と希望の奴隷や家畜となった。

そこには、奴隷や家畜の幸せしかない。

これで悪の帝国に閉じ込められ、
ここに死を迎える。

*。
人が知性化すれば、なんでもない。
それが出来ない。

知性より欲が勝っているからだ。

*。
結局、人は欲に閉じ込められた。

欲などなければないでいいことだが、閉じ込められた。

      *。
自由の精神がないと、欲を超えられない。

いらないものを一生懸命求める。

*。
これが原理主義である。

そこには自分の異物排除がある。

*。
自分で自分をガンにする。

それが長寿化であったろう。

原理主義は 相手にない自分だけの感情を求める

原理主義は、他人になくて、自分だけにある感情を求める。

日本では左脳原理主義により、
これがいじめ殺しとして、原理的に存在する。

日本人の嫉妬と羨望の激しさは、
この原理主義を一人称衝動としているからだ。

     *。
ヨーロッパの社会性、
即ち、人の悩みや苦しみをコモンセンスとして、
そこに社会協約を求める。

これで社会は市民化され、
社会と市民性は、負帰還関係を持つ。

*。
即ち、弱者を餓死させないことは、
社会の安定性を保つことだ。

アメリカや日本は、社会を放棄して、
ここに成功物語を作り、
これを競った。

即ち、社会の安定性を放棄した。

*。
だからといって、ヨ−ロッパは、戦争や犯罪の問題は解いていない。
それは別の次元の問題だ。

    *。
アメリカや日本は、社会の不安定性を処理しておらず、
ここに繁栄を築いた。

即ち、激しい貧富こそ、成功物語だ。

*。
これは社会を総合的に見た時、
結果的に失うことの方が多い。

それが貧富差となる。

*。
この歪みに依存した所得格差を成功という。

社会を全体として見た時、どっちがいいか。

それを考えさせない、
これがパラレル・ワールドであり、
原理主義によるいじめ殺しの原因となる。

   *。
日本の原理主義こそ、いじめ殺しのトートロジーであった。

日本はいじめ殺しに成立していた。

*。
過労死、公害死、無実死刑、自殺、医療死…。

ここに日本人の幸福はある。

*。
それが意識できない一人称衝動だ。

日本人は死の衝動を生きている。
日本人の死は、死が生を不可能にする可能性だ。

*。
これを隣に見て、いい気持ちになる。

日本人の長寿は、苦しみを長くするためのようにも見える。

平行線の交わらぬ世界は 異物排除の原理主義である

平行線の交わらぬ世界、
即ち、免疫系であり、
そこは異物排除の世界だ。

法治国家が原理主義の世界であることが忘れられている。
即ち、国家が絶対に正しく、
逆らうものは異物排除される。

この法治国家であれば、反対者は粛清される。
法治国家は、反対者を粛清される体制だ。

   *。
ついでに言えば、男女関係は、
平行線が交わる時に、正常に存在する。

この先、人と運動の不確定性や、
人間性と世界性の干渉などの新しい世界が開かれる。

*。
異物排除原理下の、男女関係とは何ぞや。

男と女は、求め合いながら、相手を異物排除する。

考えれば支離滅裂の世界だ。

人類は自ら統合失調症に逃げていた。

*。
こんなところに求める愛は、妄想でしかない。

ないものねだりや、ただのいいがかりでしかない。

      *。
人は、妄想の中に閉じ込められている。

これが国家原理主義の世界だ。
これが悪の帝国の存在構造だ。

*。
これらはそれを鳥瞰するゲーデル階型で、処理すべき問題だ。

*。
国家原理主義は、それが必要だからある。

だがそれを超えれば、ただの妄想だ。

いまやっとこれらを識別するゲーデル階型に到達した。

魂を救うのは魂

夢と希望、
即ち、自分だけの恍惚と快楽を追ってどうなったか。

世界はばらばらに砕け、世界は中心を失った。
世界は発散する集団となり、
崩壊する組織となった。

これが世界の物質的発展だった。

   *。
心と魂を失った人は、もはや人間ではない。

これを実証する行為に耽っていた。
それが見事実証された。

これが文明の破壊であった。

*。
夢と希望が作り出したものが、
それが閉塞感と心の闇だった。

そしてこの孤独と無力感と喪失感を、
新たな資源として、
ここに魂を憩う泉を作り出した。

    *。
これは近代人の肥大した自我を、
広大な宇宙とし、
他者と出会えない孤独と絶望を資源とし、
孤独と絶望に孤独と絶望のベクトル積を作り、
ここから抜け出ることを図り、
より深い閉塞感と心の闇に陥った。

これくらやっても、閉塞感と心の闇を深めるばかりだ。

*。
そしてここの喜びを見出すのだ。
これが国家性善説だ。
又の名を、国家原理主義という。

自分だけの恍惚とする快楽に落ちた訳だ。

するとここにますます悪の帝国が栄え、
つまりこの罠に落ちたのだ。

これで悪の帝国は栄える。

   *。
悪の帝国を繁栄させる快楽、
その快楽はそういうことだ。

悪を繁栄させるのも、快楽であった。

このゲーデル階型が理解できない。
快楽は何でもいいのだ。

即ち、それが人の行動だ。

*。
今悪の快楽と善の快楽があることを知った。

*。
孤独と無力感と喪失感の落ちた快楽は、悪の快楽だ。

やったそれが分かって来た。

    *。
その原因は、閉塞感と心の闇である。

これが悪を発振していた。

そこに人類永遠の悪の帝国があった。

*。
夢と希望は、悪魔が悪魔屋敷に釣る、悪魔のお菓子だった。

日本人の本質 国を思う気持ち

犬が人を食っている写真があった。
日本はこれと変わらない。

だがこれを信じるものはいない。

だから問題はどうしてこうなるかだ。

   *。
太平洋戦争は、
アジア全域を破壊し、人類数千万人を殺害した。

だがこれは強盗殺人であると思う人はいない。

これは日本人が国を思うかけがえのない気持ちだ。

*。
それを強盗殺人とは、何たることだ。

我々は、靖国を思う気持ちで生きているのだ。
これが日本人だ。

*。
ここに何の問題があるのだ。

こういう現実が存在している。

      *。
問題の一つは西欧で言う認識論が存在していないことだ。

国を思う気持ちが、我々を正当化している。
そこには世界が存在していない。

世界のない日本があるばかりだ。

*。
感動に浸ることがどんないひどいことか、
それをここに確認する。

感動の対偶は世界の破壊だ。

*。
即ち、日本は空である。
日本には、全体のない部分があるばかりだ。

日本は空であり、無であり、仏性を生きている。

     *。
日本は妄想を生きているという議論が成り立たない。

それ以前の状況を生きている。

*。
それが一人称衝動だ。

ここでは虫を美しく聞くことと人を美しく殺すことは同じだ。

人を美しく殺すことが出来る。
それを殺人といわない。

それが日本人の仏性だ。

*。
誰もおかしいとは言わない。

何事も仏性に発する。

     *。
つまり、これが日本人のエンジンだ。

だが考えてみよう。
こうして日本人が殺されたらどうなるのか。

許されざることとなる。

殺せ、殺せの大合唱となる。

*。
では無とは何か。

それは無でなく、無を称した雑念だ。

即ち、日本人には本質がなく、現象だけがある。
なんでも無に出来る勢いだ。

   *。
日本人は世界と交換可能に出来ていない。

即ち、日本人は日本原理主義を生きている。

*。
日本は絶対に正しく、世界が誤っている。

*。
どうやってこの眠りから覚ませるのか。

日本人は、自他発生以前の状態にあるとも言える。

子宮の中を生きているとも言える。
日本人は世界を認識できないとも言える。

    *。
世界のない日本、
日本は唯我独尊でもある。

日本は世界に出産していないとも言える。

*。
これは絶対矛盾の自己同一とも言える。

日本はこれを用いて、
世界と日本を背負い投げ一本で討ち取ることが出来る。

ここに人類は同一性を達する。

     *。
今までの人類も、国家原理主義を生きる怪物であった。

西欧は絶対に正しく、非西欧は間違いである。
こういう世界を生きていたとも言える。

大きい平行線が、世界を制圧する。
これがヘゲモニーでもあった。

*。
この平行線は交わらない世界を、
平行線の交わる世界にする、
これが人類同一性である。

*。
これが日本忍者の仕事だ。

人が死んでもいい気持ちでいられる方法

仏教・儒教の方法は、
隣で人が殺されても、いい気持ちでいることではないか。

人には現実があり、
これを多くの人が賛成する事態にすることが問題ではないか。

   *。
これは平行線が交わる、
即ち免疫の方法ではどうにもならない問題だろう。

人は互いに潰し合って生きている。

*。
人が殺し合いをやって、
生き残ったものが、権勢を手に入れる。

これがアメリカや日本のGDP一位や二位の生き方だ。

*。
弱者を殺さないことに人間性を求める。

これは自己満足に落ちず、他者排除を生きない。

*。
これが人の生き方の、最適性ではないか。

     *。
こういう生き方には、いろんなところで作った、
いろいろの自分が、
世界運動の交点として、自分を作ることがある。

*。
両者には、行き方の違いがある。
人間性をどう表現するか。
人のいい気持ちをどう表現するか。

*。
ここには免疫世界を超えた多様性がある。

自己実現から、世界運動の不動点になる。
人の存在時空が変わった。

    *。
すべての人間が正しい。

その上で、多様性がある。

ライオンになるもののいれば、草にになるものもいる。

*。
これは時空が違う。
免疫時空に人は成立するが、
それを超えた多様性世界がある。

ここに生態系は成立する。
魂が入った状態だ。

*。
人はいろいろの時空から成り立つ。

これが分かれば、人は免疫だけでないことが分かり、
その言い換えである原理主義を超えられる。

    *。
原理主義の敵は原理主義であり、
この罠に嵌ったことが問題だ。

原理主義を超えた国家原理主義、
これが敵の正体であった。

*。
国家原理主義を潰す原理主義、
それがオウムであったろう。

くりこみ理論、即ち、リセット理論を知れば、
国家もオウムも、対偶対称であった。

取っ払うのは国家原理主義であった。

*。
これが世界空間運動理論の不変式だ。

隠れ原理主義

私は原理主義と名乗るものはいない。

国家を背に背負えば、原理主義ではない。
そういえるのは、国家は原理主義を超える原理組織だからだ。

国家を原理としているのだから、
原理主義に見えないだけだ。

これが原理主義に見えたら、それは構造理性だ。

     *。
国家の隠れ原理主義を見破ってこそ、まともな議論が出来る。

国家は絶対に間違っていない。
既に暗黙の了解だ。

日本では無実死刑囚を作っても、国家は間違っていない。

*。
原理主義批判が起きているが、
これは国家は間違っていないという議論のトートロジーだ。

    *。
リアリティは、国家原理主義の言い換えでしかない。

リアリティが、世界を平面化し、そこを極彩色にする。
すると何かを越えた感じがする。

何も変えていないが、変えたように写る。
これは妄想である。

ややっこしいことに、これが仮想現実でもある。
仮想現実に本物と偽物がると言えばいいのか。

*。
リアリティこそは、国家原理主義の偽装だ。

リアリズムをニューリアリズムに偽装する。
そこには燃え盛る国家原理主義がある。

    *。
交わらない平行線、
これが免疫理論の言い換えで、
即ち異物排除を本質とする。

*。
これが異物排除だ。
リアリズムに合わぬとするものを、排除する。

これが消費や所得だ。

*。
そこには人が生きられない世界がる。

これが閉塞感であり、心の闇だ。

金は余るほどあって、人が生きられない。

*。
これをリアリズムという。

便利な言葉だ。

    *。
これで人を、閉塞感と心の闇に入れ、
これを発振させて、
人が死ぬまで、働かせる。

これが悪の帝国の技法であった。
閉塞感と心の闇に人を入れて、人を潰してしまうのだ。

だが人は狂喜する。

*。
そこにはそれしかないからだ。

閉塞感と心の闇こそ、人を悪魔屋敷に釣るお菓子だった!

これをリアリティと呼ばせれば、
これが国家原理主義と思うものはいない。

    *。
隠れ国家原理主義を、否定するものを国家原理主義と呼ばせ、
国家は国家原理主義を謳歌する。

これが悪の帝国主義の技法だ。

*。
ここに国家は原理主義を謳歌する。
それをリアリズムと呼ばせる。

人はそれで生きられない。
即ち、閉塞感と心の闇に閉じ込められ、
死ぬまで、その偽善と欺瞞の演技をやらされる。

    *。
そこには人の命も魂もない。
だがそれを心や魂と呼ばせるのだ。

他に何もないから。
即ち閉塞感と心の闇を生きるしかない。

人はこんな罠に掛かった。

*。
そこにいい気持ちを作る。

これが大人の児童文学だ。
そこには人殺しによる幸福がある。

記号と消費→要素と関係

自分を生き長らえさせる、
こんな残存を図る世界は、
自己免疫によって、
異物を排除し、
やがて自分を排除する。

従って、この世界はすべてが、ガンになる。
そういう生き方をしているのだ。

     *。
交わらない平行線を持つ免疫理論、
これは結局人をガンにするシステムだった。

何かがおかしい。

*。
人は記号を消費する生活をしていた。
これが消費生活だ。

これは自己を閉塞感と心の闇に追い込み、
ここでいい気持ちになっていた。

*。
遂に平行線が交わる世界に来た。

この世界は自己を自己で排除することがない。

     *。
即ち、これが要素と関係の世界だ。

この世界空間に不動点を取る。
それが出来るようになった。

*。
これで原理主義を抜けた。

原理主義は相手を異物排除する世界だ。
強いものが自由と正義という世界だ。

弱いものは異物排除され、
強いものの食べ物となった。

これが弱肉強食だ。

*。
これが崩壊したアメリカの崩壊だ。
自分で自分を殺した。
アメリカは、崩壊によって崩壊した。

    *。
アメリカと日本は、
閉塞感と心の闇を、往来して、
人を殺す社会だ。

人は疲れ果て皆死ぬ。
そこの国家権力も入る。
死ぬ最後争いをしていた。

それが自ら崩壊した。

*。
これた人類文明のリセットをしている。
やがて新しい文明が始まる。

それをさせまいと国家権力が威張る。

*。
金融経済は赤字国債の投入で、黒字になった。

だが実体経済は、さらにどーんと落ちる。

これを明るい兆しと言う。

やがて戦争が始まる。
本当のリセットはここのしかないからだ

早くこれをやめさせないと、戦争になる。

    *。
人は生産と消費の世界を抜けて、
環境問題や世界の貧困や少子高齢化などと戦いはじめた。

すっかりこれを除いた金融経済だ。

*。
即ち、現代経済は、金融経済が実体経済を異物排除していた。

金融栄えて、国民が死ぬ。

これが金融による国民の異物排除経済だ。

*。
即ち、市民を疎外感と心の闇に閉じ込め、
これを死ぬまで続けさせる。

これが国家権力の勝利だ。

    *。
この世界を抜ける平行線の交わる相対論世界だ。

それほどの重大改革を金融の再生といわせる国家権力だ。

*。
ナッシュの拡張均衡理論を使おう。

世界の国家権力が、最大の利益を上げる戦略の組み合わせ必ず存在する。

その対偶を取る、

それはその戦略不参加の人類の損害を最大にする戦略である。

これが新自由主義グローバリゼーションだ

*。
これは平行線が交わらない世界で成立する。

この世界経済は、
強者を生かすために、弱者を死に排泄システムだった。

    *。
人はこんな殺し合いの世界を超えて、
世界空間に不動点を探す旅に出た。

これが人類文明のリセットだ。

*。
即ち、人は負のエントロピーを食べる世界に入った。

     *。
その理論構造が、構造理性であり、
要素と関係の生む不動点世界だ。

ここに原理主義はない。

*。
人は免疫理論から解放された。

これほどの世界改革を金融改革とする、
これが国家権力だ。

人はその排除に動いている!

*。
こんな連中に殺されてたまるか。

何故 医学は壊れたか

図書館は流行物だけを置くべきか。
それではいけないことは誰でも分かっている。
だがそうしてしまう。

日常生活者と恐れを知らぬ冒険者の世界が分かれた。

これをブログに入れると同じになる。
そうしない知識整理術が必要になった。

日常世界と非日常世界が分かれた。
その知性が整わない。

    *。
もう既に、世界の改革は行われた。
新しい知性の世界が開かれ、それに現実が追いつかない。

*。
このブログで提案したが、
日常と知性に周波数を入れて、
これらに分け目を入れる。

これが出来ないのだ。

*。
何故か。
それが出来ないことが、専門化だったからだ。

専門化するほど、蛸壺の恐怖が表れる。

    *。
この世界に専門家をリードする人がいないのだ。

この間もあるソフトが大変な問題を起こした。
使い物にならないソフトを開発した。

昔のソフトの方が良かったのだ。

*。
専門家をリードするメタ専門家がいなかった。

この問題はどこででも起きている。

*。
いろいろの商品が創造されるが、
死亡事故商品が後を絶たない。

      *。
医学だってそうだ。

今の医学は、あらゆる病気の殲滅を狙っている。

*。
医学は病気をなくそうと、新しい病気を作ったと言われることだ。

これが医療事故だ。
人の死因の何番目かに、医療ミスが入った。

*。
これは考え方が変わったことを意味する。

病気を全滅する医学は、人間を破壊する医学となった。

     *。
これが免疫理論だ。
即ち、病気を異物排除する医学は、
何と自分の病気を異物排除しているのだ。

これが平行線理論だ。

*。
もうこの医学は通用しない。

平行線が交わる医学が必要になった。
平行線のない医学が必要になった。

*。
即ち、自分自身を排除しない医学が必要になった。

今の医学は、自分自身を排除していたのだ。

    *。
即ち、自分と自分が交わる医学や幾多の商品、
これが必要になった!

自分を排除しない医学が必要になった。

*。
医学もいろいろな商品も、
自分と自分が交わる、
相対性理論に発展した。

*。
医学も生きていればいいじゃないか医学に変わった。

病気と共存する医学に変わった。

病気を排除する医学は、自分自身の排除していた。

    *。
あらゆる世界がこう変わった。
原理主義は、自分を排除していた!

殺す医学や消費商品も、
殺されないことで、
すると商品との共存も変わった。

*。
環境問題に殺されない環境問題、
この自分と自分が交わる世界から、
相対論世界が開かれ、
同時に、人を殺す免疫理論から開放された!

それが生物多様性の世界だ。

*。
ここに負のエントロピーを食べる新世界が開かれた。

お上論法

優しい残酷と残酷の優しさはどう違うか。

優しく残酷することと、
残酷に優しくすること。

これをリセットすると、同じとなる。
それが一人称衝動だ。
即ち、左脳原理主義だ。

   *。
お上論法がある。

お上裁判官や役人のやる手口だ。

*。
先ず、何が言いたいんだ、とくる。

何か言うと、だから何だって言うんだ、とくる。

すると国民は、この両方を、往来し、
疲れ果て、死ぬまで、続けられる。

結論は明らかだ。
お上の勝ち。

    *。
優しく残酷する、スパルタ教育かも知れない。

すると頭を叩いて、頑張れとくる。
優しくして頬を叩くことだろうか。

*。
何時もこの発振運動だ。

結局、国民が死ぬまで続く。

*。
これが自己否定の自己責任だ。

手口は発振にあった。

    *。
これらは、発振という現象を理解すると、簡単に理解出来る。

こんな手に何千年も掛かっていた。
想像力の欠如、貧しい自我。

かくして人はお上の言いなりだ。

*。
これを拡張すると、これが悪の帝国の方法論でもある。

つまり、人類は悪の発振に潰されていた。
呑み込まれ、死ぬまでやられていた。

その手口をつかんだ!

アメリカ・日本文学は児童文学である

アメリカ・日本文学は、
夢と希望の子宮に篭り、
それを生きがいにする自閉症システムだある。

大人の文学は、
人間と人類の世界に出産し、
そこに人の悩みや苦しみをプールし、
それをコモンセンスに、
人類としての答えを出すことだ。

   *。
自我は広い世界に拡散し、
何が自分だか分からない状態だ。

*。
人の話に同調し、人をいじめ殺す。

自分を同調素子に、皆と騒ぐことは、
それは自分の仕業か。

そこには自分はない。

*。
テレビで大笑いする自分は自分か。

自分を一つの部品と使用することは自分の仕業ではない。
自分を他人と共用したことだ。

そこには自分はない。
一部品としての自分は、自分ではない。

    *。
自分の拡散し、分散した。
それがすべて自分ではない。

では自分とは何か。

*。
アメリカと日本は、自分の快楽を自分とした。

ここに快楽に恍惚とする人が生まれ、これを人と定義した。

ここのは個人はいない。

   *。
アメリカ・日本型の文化産業は、
個々人の主体の差異を消し去り、
社会の機能に変えた(アドルノ)。

この文化産業に取り込まれた人々は、
もはや葛藤を覚えることなく、
自分の脱人間化を、
人間的ないことと思い、
悲惨を安心して消費し(狩谷あゆみ)、
自己否定を自己責任として消費し楽しむのだ。

*。
一体ここにあるのは自分か。

自分であるのか、自分でないのか。

唯一つある正しいことは、自分は拡散したことだ。

     *。
ここには交わらない平行線はない。

生理的自分を超えた。

世界運動が成立し、その不動点を自己とするしかない。
即ち、自我自体超えた。

これが天動説自我から、地動説自己への展開だ。

*。
アメリカ・日本文学は、子宮引きこもりの自閉症である。

そこには夢と希望があり、
それは官能と成功物語の変態だ。

*。
これを疲れ果てさせるまでやる。

やってはならないことはやるな

やってならないことするな。

ゲーデル階型を一つに集約できる。
人類はやってならぬことをやり過ぎ、崩壊した。

   *。
人類は、脳を軸に、人の活動を、自己完結していた。

これではいろいろの矛盾が出来る。
西欧は理性帝国主知を築き、
日本は左脳原理主義を展開し、
地球上で、分裂し、喧嘩闘争となった。

*。
これを抜け出ることは、より高位の階型に、委ねることだ。

それがゲーデル階型である。

     *。
出来ないことはするな。
やってはならないことはするな。

即ち、人類を負帰還システムの火の玉とすることだ。

*。
これだけで全人類はうまく行く。

人が問題にすることは、
この上の階型の心や魂を歌うことだ。
これが世界空間の不変式だ。

それはゲーデル階型として集約される。

    *。
人間性の必然性は、
人間行為の実践にあるのであって、
人の脳の運動法則の解明にあるのではない。

*。
これらがクロストークされ、
そこに自己疎外を生きる、心の闇が生まれ、
それを生きることを、
人の生とした。

*。
人を平行線中に閉じ込め、
これを出ることを、
人の生とした。

即ち、自己否定を自己責任とした。

*。
即ち、出来ないことをやらせていた。

国家はやってはならぬことをやらせ、
そこに自己の利権を築いた。
そして人々を過労死させた。

    *。
ここから抜け出られないのは、
平行線の交わらない、異物排除を生きるからだ。

だがこの階型を抜けるには、
ゲーデル階型が必要だ。

*。
やってはならないことをするな。

これが本来の日本文だ!
日本文を使うと、ゲーデル階型がうまく理解できる。

   *。
西欧化日本は、原理主義に陥っていた!

原理主義は原理主義の餌食だ。
即ち、自己否定を自己責任とする。

これが原理主義だ。

*。
日本原理主義は、
人をパラドックスに入れ、
疲れ果てさせ、それで命を終わる。

これがお上支配だ。

その脱出法が分かった。

ここに日本忍術がある。

不動点としての世界性

人を殺して作る国家秩序は国家地秩序か。
悪を野放しにして作る国家秩序は国家秩序か。

*。
日本には社会がないから、国家秩序もない。
それはとそういってるだけの偽装だ。

即ち、日本には本質がない。
これは白昼夢や空想や幻想や妄想と変わらない。

*。
日本人は空想をうまく使っているのだろうか。

これが日本文学ファンタジー論だ。

     *。
現代世界は、
人を疎外・閉塞と心の闇と悩みに立て、
こっちに立てばあっちにいけ、
あっちに立てばこっちにこいと、
ボウルを投げ合っている。

これが閉塞と闇の発振現象だ。

*。
人はここに閉じこもり、
ここに孤独と空虚と喪失を味わい、
ここに魂の宿を作った。

そこでいい気持ちになる。

    *。
これは負のエントロピーを食べ、
孤独と絶望を資源として消費しているようでもある。

だがこれで、人に世界に不動点を取れるだろうか。

*。
そこに現れるいい気持ちって何だろう。
もう人はいい気持ちを問題にしていない。

これを超えた世界に出た。

いい気持ちは幻想で、
人は自由の精神を展開することとなった。
それがいい気持ちの展開系だ。

     *。
知性化で、世界は変わった。
それに適応することが問題となった。

これを国家秩序が妨害する。
国家の職業構造が、変わった。

新しい生き方の時代となった。

*。
これた新しい世界秩序だ。
秩序を超えた不動点がここにある。

すべては一新された。

カルトはカルトである証明

カルトを批判する人たちも、またカルトである。

*。
平行線が交わらない世界では、どちらかに強弱が出来る。

すると国家秩序側は、反国家秩序を批判する立場となる。
即ち、国家秩序は、そうでない人を異物排除する。

すると反国家秩序側も、国家を異物排除する。

*。
すれと強い側が、弱いものを、異物排除する。
これが国家秩序である。

すると勝てば官軍、負ければ賊軍となる。

   *。
即ち、勝っている方が国家秩序となる。

だからヒトラーが勝てば、ヒトラーが国家秩序となる。

すると勝った方が負けた方を成敗する。

*。
これは社会秩序か。

だが歴史はそうして進んできた。

即ち、勝った方は、負けた方を異物排除する。
これが世界秩序であった。

*。
だからだれも勝ちを取ろうと、する。

これに文句言っても始まらない。

これが国家秩序であった。

   *。
遂にこんなこといつまでやっていても、始まらない。

だが絶対秩序はない!

*。
即ち、ここで相対化する。
光があっちから来る、こっちからも行く。
その時どうなるか。

相互関係で時間が伸縮する。

ここには平行線はない。

*。
即ち、絶対真理を越えた。

相対論世界では、国家カルトが絶対に正しくなくなった。

それらは時間の伸縮の問題となった。

*。
皆正しい。

即ち、これが多様化だ。

   *。
ここにはヨブの問題はない。

皆正しい。

*。
善人なをもて往生をとぐ いはんや悪人もや。

皆正しい。

これが多様性世界だ。

*。
国家秩序論は、平行線の交わらない世界のことだ。

ここでオウムを論じるなら、オウムは犯罪者だ。

多様性の世界では、皆正しい。
もう真理はない!

   *。
皆正しい世をどうやって生きるか。

人はその使命を果たすしかない。

*。
いよいよ負のエントロピーを食べる世界が始まった。

人類を負帰還の火の玉とする。
人類は永遠の灯をともした。

*。
日本忍者は、背負い投げ一本を決めていこう。

ベクトル・コンプレックス

リアリティはスカラーであり、
現代人はベクトル化し、
即ち、方向として、心や魂や霊を持った。

心や魂が人の生存に不可欠な要素となった。

*。
だが皆精神化する訳ではないので、スカラー人もいる。

世界を切り開く人はベクトル人でないといけない。
この人たちが、人生の恐れを知らぬ冒険者だ。

   *。
スカラーは量の大小を問題にする。
所得や消費は、ただの量である。

正帰還の世界は、量の大小の世界だ。
でかいほどいい世界だ。

*。
負帰還となると、その質が問題だ。
即ち、これが方向だ。

心とか魂のよさが問題となる。

    *。
スカラーは平行線の世界だ。

人を差別することが問題だ。

*。
これが支配の問題だ。
民主主義は、実は支配の問題だった。

偉い人と偉くない人が、平行線となり、異物排除する。

*。
これが限界に来た、新自由主義×グローバリゼーションだ。

これは結局、国家を最後に排除するシステムだった。
即ち、自分を排除するシステムだ。

    *。
ここでは免疫システムは有害だ。

つまりこれを越えたシステムが必要になった。
免疫の世界を終わり、
次の平行線が交わる、相対論に移行した。

これが人の精神化や知性化だ。

*。
リアリティも感覚から、感性に移行した。

感性と知性のコンプレックスとなった。
それらが複合して一体となった。

*。
感覚だけ取ると、それフラットな感覚となり、
平行線感覚で、上下の差別化となる。

もうこの時代は終わった。
人に心や魂が入ったからだ。

    *。
文明は成熟し、次の段に入った。

消費に自己を示す時代は終わった。
自分の中身が問題になった。

だがここにもスカラーとベクトルの違いはある。

*。
静かに落ち着いて暮らす、その中身が問題になった。

これが知的精神生活だ。
これがベクトル時代だ。

*。
物の生産と消費は、脇役となった。

    *。
それがベクトル時代であり、
負のエントロピーを食う時代だ。

人は負帰還の中の、火の玉となる。
これで人が世界に迷惑を掛けない時代となる。

人類が自立したのだ。

パラレル・ワールドはナンセンスである

パラレル・ワールドは、免疫系の現象であり、
これは異物排除の世界であり、
そこでいじめ殺されないようにする。

これはナンセンス現象である。
あるいはイノセント現象とも言える。

*。
人はナンセンスで繋がり、皆同じである。

誰がそういうことを言わせたのか。

この手に乗ってはいけない。
それは自己否定を自己肯定とすることだ。

    *。
すると自己否定が何故自己肯定となるかだ。

簡単なモデルでシミュレーションしよう。

人は一つの意識の中に、意識は一つしか入らない。
そうでない人もいるがここでは考慮しない。

*。
すると一つの意識の中で、正しいとされると、
それはその意識全体で正しいとなる。

思考訓練が積めば、ここで視野の転換を行える。
それはほとんどの人の属性ではない。

   *。
人は意識したことが、正しいとなる。

それを鳥瞰する能力はほとんどの人にない。

*。
即ち、人は自分が言ったことが正しいとする。

それがおかしいというものは少ない。

*。
この意識の全体化が問題だったのだ。

即ち、ここに全体なき部分の全体化が起きる。

*。
これは過度の免疫化とも言える。

     *。
ここに全体なき部分の全体化が起き、
これが干渉し、
本来意識を喪失する。

*。
即ち、誰もが自分は正しいと出来る。

これが民族自決であり、
誰もが相手を会話せずに、自分は正しいといえる。

*。
同時に、人々を争わせ、
結局免疫系の潰し合いをさせ、弱った方をとる。

これで権力は、何時も大きな利益に預かる。
これが分割統治だ。

    *。
誰もが自分は正しいとして、
それを統治する国家権力に統治される。

これは一種の権力移譲だ。
自ら進んで、権力に、任せるのだ。

*。
これが日本人の、お任せします思想だ。
そうしないと怖い目に合わせる。

即ち、日本人のは人権はない。
お上一任が日本人の儀式だ。

*。
このように民主主義に操られる。

そこには自己がない。

      *。
これは自己否定による自己肯定だ。

これが民主主義の正体だ。

*。
それを超えるには、国民のコモンセンスが必要だ。

即ち、人々が互いに人の悩みを聞き、
そこに共通の答えを出すことだ。

*。
これでパラレル・ワールドのごまかしを越えられる!

原爆か 信頼か

すべての国が原爆を持ち、
一つの国が壊れれば、すべてが壊れる。

これが人間の程度であり、
それにすべての人類が責任を持つ。

これが人が共有する問題を、
すべての人の問題として、
コモンセンスで解決を図ることだ。

   *。
核兵器競争は、
平行線が交わらない免疫系の理論だ。

そこでは人々が、異物排除を生きる。
即ち、殺し合いを生きる。

*。
死刑廃止は、これを超えた精神的知的解決であり、
平行線は交わる世界に出たことだ。

即ち、相対論化された。

    *。
つまり核兵器の問題は、
平行線が交わる世界固有の問題だ。

だがら平行線の交わらない世界に出るか、
これが問題解決の方法だ。

*。
ここに人が精神化知性化するかどうかがある。

核兵器の問題は、平行線が交わらない世界では解けない!

パラレル・ワールドは 生を不可能にする可能性だ

パラレル・ワールドは、
人を疎外感と閉塞感と、心の闇と自己否定感に閉じ込め、
これをピンポンし、
即ち発振させる。

ここにいい気持ちを取り出す。
これは自己否定の自己肯定である。

これは統合失調症とも言える。

    *。
仏教や儒教は、自己肯定か自己否定か。

自己を否定しているとも、否定していないとも言える。
即ちゲーデル問題だ。

そこでただ一つ正しい問題は、人は生きることだ。

*。
仏教や儒教は、現実を生きているのか、否定しているのか。

どっちともいえない状況を生きている。

即ち、現実を逃げている。

    *。
それは現実を悪党に丸投げすることだ。

そこでいい気持ちになる。

そこには死体が溢れ、
人はそれをいじめ殺して生きている。

*。
そこには、死は生の存在を不可能にする可能性がある。

   *。
西欧には、弱者をいじめ殺すものを殺すことがあった。

今は死刑廃止で、殺人を否定する。

*。
この世界は、人の悩みや苦しみを、
皆で分かち合い、
そこに社会としてのコモンセンスを作る。

かっては弱者を殺すものを殺すこともあった。

*。
即ち、生は死を存在不可能にする可能となる。

ここに死刑は廃止された。

   *。
即ち、パラレル・ワールドは、いじめ殺し制度である。

人を疎外感と心の闇に閉じ込め、
ここでいい気持ちになる制度であった。

*。
ここで得たいい気持ちは、いい気持ちか。

いい気持ちでもあり、いい気持ちでもない。

ここに生きる人は、何をするのだろう。

     *。
殺人は幸福であり、幸福は殺人によって得られる。

即ち、パラレル・ワールドはいじめ殺し制度である。

これが日本人の一人称衝動であった。

*。
日本人は死の本能を生きている。

*。
即ち、虫を美しく聞くことと、人を美しく殺すことは、
等価同型であった。

陣営は恐れを知らぬ冒険か 無か ヘレン・ケラー

人は恐れを知らぬ冒険者と常識人に別れている。

今、恐れを知らぬ冒険者が不足して、常識にとらわれた。

ここに皆で讃え合い、
何もしない世界が生まれた。

それが自己否定を自己責任とする世界だ。

   *。
世界は反転し、自己破壊を自己責任とした。

世界が最適であるには、
生の肯定をしなくてはならない。

そうしないで、死の本能に捕まった。

*。
世界は死を生きている!

やがて死ぬ時を追っている。

これが正帰還だ。
世界は発振して、死を追及している。

*。
これを負帰還に戻す、
これが負のエントロピーを食うことだ。

     *。
人は成功物語を追って、
正帰還回路に入り、発振してしまった。

これを負帰還回路にリセットする。
これが日本忍者の仕事だ。

   *。
俺はジャンク・ジャンク
恐れなき冒険者

俺はジャンク・ジャック
自由の精神

俺はジャンク・ジャック
打ち負かされない力

俺はジャンク・ジャック
神に栄光あれ

パラレル・ワールドは閉塞感に人を捨てることだ

人を閉塞感の心の闇に異物排除する。
すると人々は、人は廃墟に魂が憩う芝生を得たと喜ぶ。

墓に中に入ったということなのだろうか。

*。
何をやっているんだろう。

これが自己否定を自己肯定することだ。
はっきり言えば、死人となって生きるのだ!

これがファンタジーである。

  *。
死人になれば何でも出来るのか。

その近代人の広大な自我、
ここの壮大な宇宙を見出したのだろうか。

そりゃそうだろう、
死人に出来ないことはない!

*。
だがよく考えよう。
死人の偽善と欺瞞の演技、
これがエゴイズムの正体ではないか。

仏教や儒教の世界は、この世界だったのではないか。

   *。
人々は、悩み・苦しみ・もがく。
これこそ人間の世界だ。

そこに快楽を見出すのは偽善と欺瞞の演技ではないか。

*。
人々はこの苦しみを共有し、
そこに人類としての共同世界を作る。

そこで皆で幸せになる、
これが人のあり方ではないか。

それは負のエントロピーを食べる世界だ。

   *。
自分だけの快楽に恍惚とする。

これはエゴイズムの正体ではないか。

大体そういう快楽はあるのか。
それが妄想ではないか。

*。
だんだん人の本質に詰め寄り始めた。

この先に、負帰還の火の玉となる人類が現れる。

競争と廃物排除である

競争社会は、異物排除社会である。
即ち、平行線は交わらない社会であり、
これによって、人は免疫を維持する。

せいぜい人が出来ることは、ヤマアラシの距離を保つことである。
すると人々が干渉し合わない社会を作ることだ。

すると人は孤独感と無力感にさいなまれる。

   *。
競争を取れば、過激な潰し合いとなり、
ヤマアラシに習えば、孤独と絶望に至る。

ここに適当な距離が取れない。

*。
つまり免疫系でやることがパラドックスとなる。

これを抜けることは、相対論を取るしかない。
即ち、平行線が交わる世界である。

即ち、生理系の免疫を超え、
精神系の相対論世界の多様性に自己を拡張することだ。

   *。
我々は、今生理の競争社会を超えつつある。

今ファンタジーというのは、
この拡張を阻害し、生理的自己に嵌めることだ。

つまりないものねだりに明け暮れる。
これが妄想ということだ。

*。
我々は高度に拡張した、精神世界に到達した。

近代人の肥大した自我とは、
自我で出来ないことを、自我でやることだった。

即ち、自己否定を自己肯定とすることであった。

即ち、またパラドックスに落ちた。

*。
これからは、広大な宇宙空間が待っている。

パラレル・ワールドは心の闇そのものだ

パラレル・ワールドこそは、免疫に異物排除される世界だ。

世界文明は、
この誰もが苦しむ、
心の闇をコモンセンスとして、
それに人々が苦しみ、
そこに人が納得する世界観を持とうとする。

    *。
パラレル・ワールドは、
その苦しみに、
自分だけの快楽を作る。

*。
この孤独と空虚と喪失を資源に、
それを魂が憩う喜びを歌う。

*。
そこには他人との共感がない。

大体その魂の喜びって何だ。
それは喜びか。

喜び出ないものを、喜びとしているのではないか。

*。
それを喜びとする人もいる。
それはごまかしだとする人もいる。

    *。
ここのゲーデル階型を加えよう。

孤絶は、快楽であるとも、快楽で無いとも言える。

ここで唯一つ正しいことは、人は孤絶を生きることだ。

*。
孤独と絶望を快楽とする、
これが光源氏かも知れない。

孤独と絶望に苦しみ、
これを魂にするのが、紫の上かも知れない。

*。
孤独と絶望を快楽にすることは無矛盾である。

そこから魂を作ることも無矛盾である。

よってこの無矛盾は証明されない。

   *。
即ち、人にはもっと上の階型があった。

リアル階型にすべてを処理することは、妄想であった。

*。
即ち、パラレル・ワールドは妄想であった。

だから文学なのだろうか。

でも世界に通じない世界がある。
それは何というのか。

日本忍者は空である

山本七平は日本は空体であるといい、
河合隼雄は中空構造といい、
全体なき部分だといった人もいる。

この空、無、仏性はどこから来るのか。
末木文美士によると、仏教伝来ではないようだ。

*。
この空の思想そこは、
日本人の一人称衝動ではないか。

お上日本では、日本は空であるから何やってもいいとなる。

クール・ジャパンでは、空そのものを食う。
即ち、負のエントロピーを食べる。

*。
日本はお上とクール・ジャパンに引き裂かれている。
これは対偶構造だ。

    *。
日本は空だから何やってもいい人々、
彼らは無実の人を死刑囚にもする。

空だからそれなりのことをやる。
これが絶対矛盾の自己同一化だ。

*。
日本にはこの両成分がある。
これが対偶として入っている。

*。
ここの日本と世界を同時に変える能力の起源がある。
これが日本忍者だ。

これが日本のミッションだ。

パラレル・ワールドは妄想である

パラレル・ワールドは、共同幻想や妄想の類である。

パラレル・ワールドは、平行線の世界の物語だ。
それは免疫系の話であり、
即ち、異物を排除する現象だ。

異物を排除して、それと仲良くする。
それを人は出来ても、人格は解体される。

*。
パラレル・ワールドが成立するには、
ハリネズミの距離が必要だ。

だが戦争や犯罪は、それが成立しないところに発生する。

すると無いものねだりの現象となる。

*。
これで多くの物語を書ける。
それは無いものねだりや、妄想にしかならない。

即ち、本質の無い現象である。

*。
ここに物語する。
どういうことか考えた方がいい。

   *。
人類は多様性として、非パラレル・ワールドに入った。

そこでは平行線は交わり、人は新しい世界に入った。
それが非ユークリッドや相対論の世界だ。

*。
ここから見ると、
平行線の交わらない世界で愛を夢見る。

それは妄想でしかない。

*。
愛は衝突に成立している。
これを裁くのは、平行線が交わる世界だ。

衝突の無い愛、
これが妄想であった。

私はウソは申しません

私はウソは申しません、
どういう意味なんだろう。

欧米だったら、聖書に手を置いて、
私はウソは言いませんと言えばいい。
それでも嘘をつくやつもいる。

   *。
私は正直に話します。
対偶を取れば、
私は嘘つきです。

つまり、私は正直か嘘つきかのどちらかです。

*。
これも昔の総理大臣の、
私は靖国に行くとも行かないとも申しませんと同じだ。

日本では、偉い人は、
嘘つきであるとも無いとも言わずに、ウソをつけるのだ。

*。
これがゲーデルの唯一つ正しいことに相当する。

これをぼかすことが、一人称衝動だ。
即ち、これが衝動で、日本人以外に無い現象だ。

       *。
即ち、日本人はウソとつくともつかないともいえる。

だが行動次元で、どちらかしかない。
同時にそれができない。

*。
ここに、私は嘘つきであるとも無いともいえない状態となる。

するとゲーデル階型で、
唯一つ正しいことは、私は嘘つきであるとなる。

日本にはこの論理が無いから、平然としていられるのだ。

即ち、日本人はゲーデル以前のあいまいにある。
これは成立しない。

*。
これがコオロギを美しく聞きながら、人を殺せることになる。

    *。
私はウソは申しません、
その対偶は、私は正直ではありません。

私は正直です、
その対偶は、私は嘘つきです。

*。
この対角論法を取る、
すると、私は正直にウソをつく、
あるいはウソに正直ですとなる。

こんな論理は成立しない。
即ち、これはお上戦車が、人を殺して進むということだ。

*。
これがお上論法であった。

これは一人称衝動論理で成立しても、
このような世界は日本以外ない。

     *。
日本にもこれは無い。
即ち、お上論法は妄想である。

優しさは免疫値 残酷は相対値

日本人は通常、喜怒哀楽に生活する。
だがお上に触れた途端、絶対値の世界に入る。

お上の世界は法律用語を使う。
それから一言一句合っていないと、
知りません、聞いたことがありませんとなる。

     *。
在るとも無いとも言えない世界が現れる。

ここでは一言一句、合っていないと無いのである。
そのもので無いと無いのである。

*。
即ち、この間に変換は無い。

人は直ちに非日常に送り込まれる。
日常会話の無い世界に入る。

*。
生活保護を申請する。
本人が行くと、そんな話は聞いたことが無いとなる。

専門家が同伴すると、直ちに受け付けられる。

*。
何が違うのか。
専門家は一言一句正しいことを言うからだ。

    *。
栃木県警虚偽犯人事件にこれが見られる。

本人がやったという話以外、すべてが無いのである。

*。
日常は人の関わりで生きている。

だが人の関わりがない世界に、閉じ込められる。

誰もがどうしていいか分からない。

*。
こうして国家のやりたいように、操作されるのだ。

    *。
日本人の優しさの総体は、残酷さである。

すべての優しさを合わせると、残酷となる。

*。
この残酷は、日常には無い。

お上の世界だけ在る。

日本人がお上を背負うと、残酷になる。

*。
日ごろいいお父さんも、
お上を背負うと人殺しに何の問題も無くなる。

*。
これがお上認知症の世界だ。

   *。
日常と非日常の乖離、
優しさは偽善と欺瞞の演技なのか、
残酷さが偽善と欺瞞の演技なのか。

これが同一化した世界こそ、日本人の一人称衝動の世界だ。
これが日本人の根源だ。

*。
即ち、コオロギを美しく聞くことと、
人を殺すことはお上世界では同一だ。

即ち、絶対矛盾の自己同一性だ。

    *。
これを使って世界を同一化する。

これがお上忍法だ。

*。
今、お上忍法に繰り込みを掛け、
世界を負のエントロピーに同一化する。

*。
これが日本ストラテジーであり、日本ミッションだ。
即ち、お上忍法という。

世界を背負い投げ一本、世界を同一化するのだ。

*。
そのために日本に仕掛けられた日本マンモス・プログラムだ。

これを出た、人類は人類に同一化する。

民主主義は自己否定を自己責任と呼ばせる

民主主義は、

抑圧や弾圧を主張するものを、

自己疎外、即ち異物排除し、

それらを外部に排除する。



民主主義は、

民族自決を主張するものを、

弱いものいじめに還元し、

弱いもの同士を殺し合うシステムとする。



*。

民主主義は、

殺人を自殺と呼ばせ、

通り魔による国家秩序再建を、

許されざる犯罪として異物排除する。



民主主義は、

分断を孤立と呼ばせる。



民主主義は、

いい学校いい会社を、ばら色に染め上げ、

そうでないものは、免疫として異物排除する。



*。

民主主義は、

理念を普遍妥当性と呼ばせ、

自己否定を自己責任とよばせる。

自我から精神へ

閉塞する文明や管理される自我、
損傷された肉体とか容量の足りなくなった自我、
意識の流れの揺れとか実存の不安、
これらを一括して言うには、
自我が世界に対応しなくなったことだ。

自我で世界に対応できない。

*。
自我を世界に対応するように拡張されねばならない。
これらはその問題のトートロジーだ。

    *。
これが自我から精神への発展だ。

精神世界には、自分も入り、
そこには世界精神も入っている。

これが拡張された精神だ。

そこのは環境問題も入っている。

*。
その世界空間を、自分が運動し、
そこに世界が現れ、そこに不動点が現れる。

世界空間を運動する自分であり、
そこには世界と精神が共存する。

   *。
もはや自我では世界に対応できない。

自我では実存が不安になり、
意識を揺らすシーソーは、子供の遊びとなった。

*。
世界を引き受ける自分、
世界を遊泳する自己、
ここには自我の貧困と精神の遅滞で対応するのだ。

世界を引き受ける自分が必要だ。

*。
それが「恐れを知らぬ冒険」だ。

そこの得られた自由の精神には、打ち負かされない力が働く。

ここに実存の不安とか精神の揺れは克服される。
これが大人の自我だ。

ゲーデル階型で脳支配を脱出した

西欧の理性帝国主義の原因は、西欧の脳支配であった。

日本の左脳原理主義は、左脳の脳支配であった。

*。
ゲーデル階型の獲得で、脳支配を脱出した。
脳をコントロールできるようになった。

西欧支配とか日本の原理とかを越えられた。
ここに自由の精神を得ることができた。

   *。
人は高位の脳コントロールの獲得で、
自由な精神を生きることができる。

*。
ここにこそ負のエントロピ−を食べる文明がある。

これはゲーデル階型の獲得でできることだ。

負のエントロピーを食べる文化は、ここにしか成立しない。

   *。
ここに人は自我を拡張し、
世界を泳ぎ、そこに不変式を求める、世界自己を得た。

それは世界から自己解を得る世界と違う。

*。
人は単に生きることから、
即ち、生理的身体的生理から、脱出した。

ここに精神世界を得た。

*。
ここにこそ脱自我があり、打ち負かされない力が働く。

   *。
人は自分が生きるための、生理的解の行き方を脱出した。
精神的に生きなければならなくなった。

*。
人はスカラー世界を脱出、
生きることに方向性を持った、ベクトル世界に入った。

単に生きているだけのスカラーでなくなった。

生きている方向が正しいか判断する段階だ。
それが精神性だ。

*。
愛を超えた、精神の世界に入った。
ここで魂に接近にした。

それは世界の不動点世界だ。
世界に不動点を求める、
これがこれからの人の生き方だ。

ジャパン ミッション

コオロギも 人を殺せと 鳴いている
スイーチョン スイーチョン

*。
日本人の左脳原理主義は、世界に日本だけに存在しない。

コオロギが人を殺せと鳴くのである。
これが一人称衝動である。

靖国は、逆らうものを皆殺せと叫ぶ。

*。
お上国家は、
都合のいいものだけを取り上げ、
都合の悪いものは切り捨てろと叫ぶ。

誰も文句も言わない。

これが日本の国家秩序だ。

    *。
過労死、自殺と殺人、いじめ殺し、公害死、通り魔…。
沢山のものが死ぬ。

だが殺したという気持ちはない。
そこに日本人に生まれて幸福だという人が九割以上いる。

*。
日本では幸福になることと人を殺すことが、
一人称衝動の上に成り立つ。

そこではこれらは識別されない。

    *。
人々は激しい嫉妬に成り立つ。

それを友情にするか、憎しみにするか。
それが日本人の生活だ。

*。
だがそれは世界では、友情とも憎しみとはいわない。

激しい感動の作る物語と、
この過激を取り去った物語は違う。

*。
日本人の激しい感動は、喜怒哀楽を分断する。

喜怒哀楽を平準化した世界が通常だ。

    *。
日本人とは死ぬことと見つけたり。

日本人は死の本能を生きている。

*。
だがお上日本とクール・ジャパンは対偶世界だ。

両極端に分かれている。

このマンモス日本は、世界を自己同一化する使命を追う。
これが絶対矛盾の自己同一化だ。

そのために、世界を負のエントロピーを食べる世界に大転換を行う、
くりこみ理論が用意されている。

*。
これで日本を一時解体し、
そして世界市民になる運動だ。

そこに世界不動点自己が成立する。

そのための準備運動だ。

ヨブの問題

信仰を深めれば深めるほど、神の制裁に合う。

そこまで信仰を深めるのは、異常であるとか、
余程特殊の問題ではないか。
そういう考えも成り立つだろう。

   *。
ここではこう開いてみよう。

神を信仰することも、しないこともできる。

人は生きることをしなければならない。
ここで唯一つ正しいことは、人は生きねばならないことだ。

こうなるとこれはゲーデル問題となる。

*。
人が生きることは、神がいようといまいと、生きねばならない。

これを初期条件としよう。
神を信じる初期条件と、
神を信じない初期条件がある。

どっちがいいとは人には断定できない。

   *。
ここから神を信じようと信じまいと、人は生きるのである。

即ち、神を信じることもしないことも、
消点vashining pointである。

これでいい人生か人生でないかは決まらない。
これは決定不能や証明不能問題である。

*。
こんなことを人は争っていた。

なんと無駄をしていたのであろうと認識することもできる。

   *。
人は生きねばならない。

だが自殺の可能性も、存在する。

生きることは自殺を含めた、自由度を持ったのかも知れない。

*。
ここで生きるとは何か。

今までの考えは、あまりにも静的である。
人はもっと動的だ。

*。
つまりアメリカ・日本型の人を餓死させる国家と、
それをさせないヨーロッパ型国家がある。

この違いはなんだろう。

    *。
それは強者が弱者を餓死させることと、
させない国家の違いだ。

*。
人それぞれいろいろな考えがあるから、それは問題にしまい。

国家が弱者を餓死させる国家は、国家として無矛盾である。
国家が弱者を餓死させないことも無矛盾である。

人が殺されて死ぬことは、無矛盾である。
その線が出てきた。

    *。
そこに弱者を餓死させない国家が現れた。

この世界は、人の持つ問題を、
人が共通の問題として、
人々という考えがなりたつ世界である。
即ち、社会が発見された。

*。
殆どの国家には社会という考えがない。

人は自分の快楽を生きる。

*。
即ち、自分の快楽を生きる国家と
人々の快楽を生きる国家が発見された。

    *。
殆どの国家は、人の快楽を生き、
ある種の国家は人々の快楽を生きる。

*。
ここに快楽の階型が発見された。

ただの快楽社会とその上のメタ社会快楽を持つ社会だ。

*。
何が違うんだろう。

静的世界では、人は自分の快楽を生きる。

動的世界では、人は世界の快楽を生きる。
つまりここでは生理的快楽を超えた、メタ快楽が現れた。

このメタ快楽を魂と呼べるかも知れない。

    *。
生理階型には免疫があり、異物排除の喧嘩抗争を生きる。

平行線が交わる、多様性の世界には、これがない。

*。
即ち、これらは階型の違いであった。

即ち、ヨブ記の問題は、生理階型では解けない。

*。
同様に、善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。

これは生理階型では解けない。

魂にあるメタ階型でこれは解ける。

    *。
現在の人類は、二つの階型に存在する。
リアル階型とメタ階型だ。

魂のない世界と魂のある世界だ。

*。
魂のない世界の方が強い!

人を簡単に殺せるからだ。

自己疎外とは自己否定による自己否定である

ある大臣がこういっている。
自分は正しい、間違いがあるなら相手にある。
どうやって責任を取るのか。

これが免疫である。
自分が正しいとしないと、自分は成立しない。

それは当然だ。
間違っている自分はあってはならないのだ。

*。
だがこれがどうして、国会の議論に出てくるのか。

国家は皆自己免疫系としている。

これでは勝つか負けるかの議論にしかならない。

*。
すると総理や大臣は、自分が勝つ議論をしている。

なるほど、これがお上だ。
お上は、自分が勝つ議論しかできない。

皆同じ人間であるのに、自分は違うとできる。
これがお上でした。

*。
上下のない世界に、上下を作る。
これがお上論法であった。

できないことをやる。
これがお上論法だ。

    *。
これが情実人事だ。
あってならない人に上下をつける。
上が何時も勝つ。

*。
これは悪の帝国が何時も勝つことと同じだ。

悪と暴力に、自由と正義と名をつける。

*。
イラクに大量破壊兵器がある。
イラクはアルカイダの基地だ。

そうでないことが分かった時は、
戦争はすでに行われ、後に引けない。

即ち、悪と暴力は、自由と正義であったのだ。

*。
こうなると、911は大統領がやらせたのではない。
そういう仮説が浮かび上がる。

    *。
悪と暴力は、それに自由と正義を名をつける。

自由と正義は、何もしないことで、
そうでないものを非難できる。

*。
自民党もこれだ。
民主党の反撃に、自由と民主主義はどこにいったとやればいい。

これに納得する日本人三割が、自民党に投票すれば、自民党に六割の議席が入る。

*。
そこで自民党は自由と正義であるといえばいい。

*。
このトリックが通る現実だ。

   *。
結局、自由と正義はトリックだ。

自己責任は、自己否定の罠に落ちたのだ。

*。
これをどう破るか。
敗れないのは、ゲーデル合理性だ。

決定できない問題には、回答がない。

それをやるのは魂だが、彼らにそれはない。

     *。
ゲーデル階型が、魂の世界であることがわからない限り、回答はない。

人類はここに落ち込んだ。

ゲーデル階型は、魂の世界のことだった。

*。
人類は魂のない世界に、沈み込んだ。

即ち、悪と暴力が勝つ。

自由と正義は、悪と暴力のすり替えだった。

感動は裏切りである

思わず泣く、
これは日本人自身への裏切り行為である。

日本人だけが持つ左脳原理主義がある。
左脳で虫の音を聞き、そして人を殺すことさえする。
これが思わず泣く感動の中で起きている。

こんな当てにならないものを信じている日本人である。
どんなに感動によって、日本人自身が裏切られて来たか。

優しさと残酷は、
左脳原理の一次元衝動だ。
優しくすることで、人を殺す。
これが一次元衝動だ。

    *。
他の民族が、感動を捨て去った。
それがとんでもない殺人を正当化するからだ。

日本人の殺意の美学こそ、感動だ。
人を殺すことに、日本人は燃え、美を感じる。

これではこの世の中めちゃくちゃになる。

*。
日本人とは、死ぬことと見つけたり。
何でこれに感動するか。

自分を殺すことと、人を殺すことが、同じだからだ。

ここに左脳原理を確認する。

    *。
優しさと残酷の自己同一性、
日本を愛する感動に、
日本人は人類数千万人を殺害した。

これは同じ一次元衝動だ。

    *。
人類はゲーデル階型により、
脳みそ原理よりもっと高位の階型に到達した。

*。
右脳原理は、理性帝国主義を作り、
人類をめちゃくちゃにした。

左脳原理は、感動を求めて、人類をめちゃくちゃにした。

*。
豊臣秀吉の、草履伝説は、日本を破壊した。

この感動の中にこそ、
日本人が訳もなくお上の言いなりになる、衝動が隠されていた。

秀吉に日本はしてやられた。
今でも秀吉は日本の支配者である。
それは草履伝説に仕掛けられていた。

   *。
脳みそを超えて、人は自由になれた。

それが自由の精神である。
それはゲーデルによって、達成された。

ここに人は自由を勝ち取った。

*。
日本人の絶対矛盾の自己同一性は、
人類の脳みその壁を破り、
ゲーデル階型に人類を渡す手続きであった。

ここにやっと人類の生活ができるようになる。

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