仏教はファンタジーである

仏教や儒教には、
虐げられたものは幸いである、
こういうい考えがない。

即ち、仏教や儒教には、社会性がない。
社会なき社会を生きている。

     *。
仏教や儒教には、
世界を悪に丸投げし、
彼らが殺されようと関心がない。

*。
今現代が問題にすることは、
人々の共通の悩みに、人々が共通で、取り組むことだ。

即ち、世界の普遍事項に、不変式を導入することだ。

*。
ここに社会に共役を持つことだ。

世界空間に不変式を導入することだ。

    *。
何かが吹っ切れた感じがする、
何かが変わったと感じる。

メランコリーの繭から、その温もりから抜け出した気がする。

*。
この種の発言に、本質がない。

そういう言い方もある。
そこにはアメリカや日本文学がある。

だがこれは児童文学だ。

      *。
日本には、世界人類の悩みがない。

人が共通する悩みがない。
人が一人一人ばらばらにされ、
皆で悩むことがない。

*。
これでこの世界を抜け出られるだろうか。

誰で名も悩むことを、皆で悩むことがない。

そこには、過労死、餓死、公害死、自殺や殺人、
通り魔のごとく、
人一人が社会から切断され、
苦しみを共有することがない。

   *。
通り魔は、一人で苦しむことは自己責任だ。
自助努力、自己管理の問題だ。

そにには苦しみを共有することがない。

この世界も限界に来たのではないか。

*。
それが仏教や儒教の問題ではないか。

即ち、仏教はファンタジーである。
自分一人で悩み、
その声さえ聞いて貰えない。

民主主義は 自己責任による自己否定である

アメリカは自白した。
民主主義は、自己責任による自己否定である。

*。
そのトリックは次のようである。

自由と正義には悪と暴力が必要である。
それは自由と正義のためだから、必要悪で済む。

だがこれが法である。
法のために悪と暴力は許される。
誰もそれが悪と暴力とは思っていない。

*。
これは善悪の対称性から理解できる。

善をなすに悪は必要である。

西欧はこれを進化とし、次の段階に来た。
日本は先年一日として暮らした。

      *。
アメリカは、テロ防止のために、テロを正義とした。

それを戦争と破壊として遂行した。

*。
こうなると、どっちがテロだか分からなくなる。

善悪は対称であるからだ。

ここにアメリカは絶対善とした。

*。
これはただの妄想でしかなかった。

アメリカが正義とすると、イスラムは悪となるからだ。

実はこれがアメリカの正義だった。
即ち、ただの妄想だ。

    *。
拡大民主主義によって、
アメリカの正義とイスラムの正義は、
交わってしまった!

*。
アメリカだけなら、
アメリカの正義は、自己免疫系であった。
即ち、異物排除システムだった。

     *。
だが世界の正義となると、
正義は交わる平行線となる。

これが多様性だ。

*。
このアメリカンの無知が、厳しく問われている。

     *。
ゲーデル合理性を入れよう。

アメリカの正義が絶対善であると、
他国の正義は絶対悪となる。

ここで作られるただ一つ正しい文章は、
絶対悪にもいろいろあるということだ。

*。
これこそ正に相対論に入ったのだ。

相対論世界では、平行線が交わる。

*。
アメリカの正義はこれに適応しなかった。
かくアメリカは世界から追放された。

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