人類は孤独・空虚と喪失との戦いであった

人類は文明を持つや、
孤独と空虚と喪失と戦っていた。

それは源氏物語の世界に明白だ。
彼らはいじめ殺しに始まり、いじめ殺しに終わる世界を生きていた。

この中で、いかに友を持ち、如何に敵を持つかを争っていた。

*。
西欧はこの中で、弱者を殺さない世界を持った。
だか何から何までうまく行くのではない。

弱者を殺さない世界は、
これを殺すもの殺してしまうのだ。
それもだいぶスマートになった。

だから返って戦争や犯罪が増えることもある。

    *。
何もしないでうまく行く。
そんなことはありえない。

でも日本はこうして待っていた。
絶対矛盾を同一化するためだ。

人類によっては、いろいろの使命があるといったらいいのだろうか。

*。
孤独や喪失や空虚、
その中に魂の憩う芝生を持つ。

それは妄想や白昼夢の類だ。

やがてそれが共同幻想であることを理解するはずだ。

   *。
人間はやるべきことを逃げ回って生きているのだ。

人には、恐れを知らぬ冒険か無か。
これしかない。

*。
成功物語や立身出世の夢と希望で、
如何に人生を狂わされたか。

それを考える余裕も捨ててしまった。

*。
夢と希望は、悪魔のお菓子だった。

これがファウスト博士とフランケンシュタインのお菓子だった。

*。
文明の資源こそ、孤独と絶望だった。

*。
人が生きるのは簡単なことではない。

命を掛けた冒険でしかない。

それは源氏物語に明らかだ。

    *。
人類は悪魔のお菓子を食ってしまった。

そこで、自分の精神と心の中の天地に、
自分を中に自分を見つけたと思っている。

それは自己破壊の世界だ。
それを自己責任と呼んでいる。

*。
それは人が殺し合い、差別と分断の世界だ。
自殺やいじめ殺し、殺人やテロ、通り魔の世界だ。

そこのは何もできない社会と自分が否定される社会がある。
この閉塞感と心の闇、
それは自分だけで恍惚とする快楽の世界だ。

そんなところに逃げ込んでどうするのだ。
それが自分だけよければいい世界だ。

   *。
人は負のエントロピーを食べる立場に立った。

もう悪魔屋敷でいちゃいちゃする場合ではない。

仏教・儒教はエゴイズムである

昔、アルベルト・シュヴァィツァーが言っていた。
仏教はエゴイズムである。

自分のことしか考えない。
その結果、自分のことも考えない人ができた。

*。
彼らは法典の中に、自分を埋め込み、
恍惚と快楽に耽る。

その結果、仏教はどうなったか。

    *。
世界にはいろんな考えがあり、いろんなことを言う。

ただここでいえることは、
人は独立自尊とか独我からなり、
さらに人と人の相互扶助からなる。

*。
そしてまだこれらのバランスが取れていない。

人の最適化から程遠い状態だ。
そのために戦争や犯罪が必要なのかも知れない。

   *。
だから人類文化としての、リセットが必要になったのかも知れない。

国家権力のやりたい放題状態が、克服されつつあるのかも知れない。

*。
ここには人類全体を負帰還の輪の中に埋め込み、
そこに永遠の火をともす文明が始まったのだろう。

人類は、国家天動説を出て、
人類地動説という負帰還の中に永遠の灯を灯し始めた。

今人類文明は、激変期にある。

    *。
今までのようなやりたい放題の文明は、自己を滅ぼす。

それは自分を食っている状態だ。

*。
自己責任や自助努力に自己管理、
これをできないものが公然と言い放す無責任世界。

自己責任とは、自己否定だったのだ。

*。
こんなトリックに引っ掛かっていては、
あまりにも知恵のないことだ。

人が自己を背負う次代になった。

*。
自分の足を食って生きる、
それは強者が後に死ぬことでしかない。

   *。
こんな生存競争はない。

人はパラドックスに中に落ち込んだ。

これを出る、ゲーデル問題だ。

*。
やれるともやれないともいえない状態で、人はどう生きるか。

ただ一つ正しいことは、この世界を生きることだ。

*。
これが負帰還状態だ。

やれるともやれないともいえない状態、
そこに暮らす負帰還状態だ。

これが負のエントロピーを食べる文明だ。

   *。
世界は何から何まで、新しくなった。

世界を発振・発散する文明から、
人類を負帰還する文明へ。

ここに人類としての魂が入る。

*。
人類が魂を持つ文明に進化した。

人類としての魂が成立した。

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