ジャパン ミッション
コオロギも 人を殺せと 鳴いている
スイーチョン スイーチョン
*。
日本人の左脳原理主義は、世界に日本だけに存在しない。
コオロギが人を殺せと鳴くのである。
これが一人称衝動である。
靖国は、逆らうものを皆殺せと叫ぶ。
*。
お上国家は、
都合のいいものだけを取り上げ、
都合の悪いものは切り捨てろと叫ぶ。
誰も文句も言わない。
これが日本の国家秩序だ。
*。
過労死、自殺と殺人、いじめ殺し、公害死、通り魔…。
沢山のものが死ぬ。
だが殺したという気持ちはない。
そこに日本人に生まれて幸福だという人が九割以上いる。
*。
日本では幸福になることと人を殺すことが、
一人称衝動の上に成り立つ。
そこではこれらは識別されない。
*。
人々は激しい嫉妬に成り立つ。
それを友情にするか、憎しみにするか。
それが日本人の生活だ。
*。
だがそれは世界では、友情とも憎しみとはいわない。
激しい感動の作る物語と、
この過激を取り去った物語は違う。
*。
日本人の激しい感動は、喜怒哀楽を分断する。
喜怒哀楽を平準化した世界が通常だ。
*。
日本人とは死ぬことと見つけたり。
日本人は死の本能を生きている。
*。
だがお上日本とクール・ジャパンは対偶世界だ。
両極端に分かれている。
このマンモス日本は、世界を自己同一化する使命を追う。
これが絶対矛盾の自己同一化だ。
そのために、世界を負のエントロピーを食べる世界に大転換を行う、
くりこみ理論が用意されている。
*。
これで日本を一時解体し、
そして世界市民になる運動だ。
そこに世界不動点自己が成立する。
そのための準備運動だ。
スイーチョン スイーチョン
*。
日本人の左脳原理主義は、世界に日本だけに存在しない。
コオロギが人を殺せと鳴くのである。
これが一人称衝動である。
靖国は、逆らうものを皆殺せと叫ぶ。
*。
お上国家は、
都合のいいものだけを取り上げ、
都合の悪いものは切り捨てろと叫ぶ。
誰も文句も言わない。
これが日本の国家秩序だ。
*。
過労死、自殺と殺人、いじめ殺し、公害死、通り魔…。
沢山のものが死ぬ。
だが殺したという気持ちはない。
そこに日本人に生まれて幸福だという人が九割以上いる。
*。
日本では幸福になることと人を殺すことが、
一人称衝動の上に成り立つ。
そこではこれらは識別されない。
*。
人々は激しい嫉妬に成り立つ。
それを友情にするか、憎しみにするか。
それが日本人の生活だ。
*。
だがそれは世界では、友情とも憎しみとはいわない。
激しい感動の作る物語と、
この過激を取り去った物語は違う。
*。
日本人の激しい感動は、喜怒哀楽を分断する。
喜怒哀楽を平準化した世界が通常だ。
*。
日本人とは死ぬことと見つけたり。
日本人は死の本能を生きている。
*。
だがお上日本とクール・ジャパンは対偶世界だ。
両極端に分かれている。
このマンモス日本は、世界を自己同一化する使命を追う。
これが絶対矛盾の自己同一化だ。
そのために、世界を負のエントロピーを食べる世界に大転換を行う、
くりこみ理論が用意されている。
*。
これで日本を一時解体し、
そして世界市民になる運動だ。
そこに世界不動点自己が成立する。
そのための準備運動だ。
ヨブの問題
信仰を深めれば深めるほど、神の制裁に合う。
そこまで信仰を深めるのは、異常であるとか、
余程特殊の問題ではないか。
そういう考えも成り立つだろう。
*。
ここではこう開いてみよう。
神を信仰することも、しないこともできる。
人は生きることをしなければならない。
ここで唯一つ正しいことは、人は生きねばならないことだ。
こうなるとこれはゲーデル問題となる。
*。
人が生きることは、神がいようといまいと、生きねばならない。
これを初期条件としよう。
神を信じる初期条件と、
神を信じない初期条件がある。
どっちがいいとは人には断定できない。
*。
ここから神を信じようと信じまいと、人は生きるのである。
即ち、神を信じることもしないことも、
消点vashining pointである。
これでいい人生か人生でないかは決まらない。
これは決定不能や証明不能問題である。
*。
こんなことを人は争っていた。
なんと無駄をしていたのであろうと認識することもできる。
*。
人は生きねばならない。
だが自殺の可能性も、存在する。
生きることは自殺を含めた、自由度を持ったのかも知れない。
*。
ここで生きるとは何か。
今までの考えは、あまりにも静的である。
人はもっと動的だ。
*。
つまりアメリカ・日本型の人を餓死させる国家と、
それをさせないヨーロッパ型国家がある。
この違いはなんだろう。
*。
それは強者が弱者を餓死させることと、
させない国家の違いだ。
*。
人それぞれいろいろな考えがあるから、それは問題にしまい。
国家が弱者を餓死させる国家は、国家として無矛盾である。
国家が弱者を餓死させないことも無矛盾である。
人が殺されて死ぬことは、無矛盾である。
その線が出てきた。
*。
そこに弱者を餓死させない国家が現れた。
この世界は、人の持つ問題を、
人が共通の問題として、
人々という考えがなりたつ世界である。
即ち、社会が発見された。
*。
殆どの国家には社会という考えがない。
人は自分の快楽を生きる。
*。
即ち、自分の快楽を生きる国家と
人々の快楽を生きる国家が発見された。
*。
殆どの国家は、人の快楽を生き、
ある種の国家は人々の快楽を生きる。
*。
ここに快楽の階型が発見された。
ただの快楽社会とその上のメタ社会快楽を持つ社会だ。
*。
何が違うんだろう。
静的世界では、人は自分の快楽を生きる。
動的世界では、人は世界の快楽を生きる。
つまりここでは生理的快楽を超えた、メタ快楽が現れた。
このメタ快楽を魂と呼べるかも知れない。
*。
生理階型には免疫があり、異物排除の喧嘩抗争を生きる。
平行線が交わる、多様性の世界には、これがない。
*。
即ち、これらは階型の違いであった。
即ち、ヨブ記の問題は、生理階型では解けない。
*。
同様に、善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
これは生理階型では解けない。
魂にあるメタ階型でこれは解ける。
*。
現在の人類は、二つの階型に存在する。
リアル階型とメタ階型だ。
魂のない世界と魂のある世界だ。
*。
魂のない世界の方が強い!
人を簡単に殺せるからだ。
そこまで信仰を深めるのは、異常であるとか、
余程特殊の問題ではないか。
そういう考えも成り立つだろう。
*。
ここではこう開いてみよう。
神を信仰することも、しないこともできる。
人は生きることをしなければならない。
ここで唯一つ正しいことは、人は生きねばならないことだ。
こうなるとこれはゲーデル問題となる。
*。
人が生きることは、神がいようといまいと、生きねばならない。
これを初期条件としよう。
神を信じる初期条件と、
神を信じない初期条件がある。
どっちがいいとは人には断定できない。
*。
ここから神を信じようと信じまいと、人は生きるのである。
即ち、神を信じることもしないことも、
消点vashining pointである。
これでいい人生か人生でないかは決まらない。
これは決定不能や証明不能問題である。
*。
こんなことを人は争っていた。
なんと無駄をしていたのであろうと認識することもできる。
*。
人は生きねばならない。
だが自殺の可能性も、存在する。
生きることは自殺を含めた、自由度を持ったのかも知れない。
*。
ここで生きるとは何か。
今までの考えは、あまりにも静的である。
人はもっと動的だ。
*。
つまりアメリカ・日本型の人を餓死させる国家と、
それをさせないヨーロッパ型国家がある。
この違いはなんだろう。
*。
それは強者が弱者を餓死させることと、
させない国家の違いだ。
*。
人それぞれいろいろな考えがあるから、それは問題にしまい。
国家が弱者を餓死させる国家は、国家として無矛盾である。
国家が弱者を餓死させないことも無矛盾である。
人が殺されて死ぬことは、無矛盾である。
その線が出てきた。
*。
そこに弱者を餓死させない国家が現れた。
この世界は、人の持つ問題を、
人が共通の問題として、
人々という考えがなりたつ世界である。
即ち、社会が発見された。
*。
殆どの国家には社会という考えがない。
人は自分の快楽を生きる。
*。
即ち、自分の快楽を生きる国家と
人々の快楽を生きる国家が発見された。
*。
殆どの国家は、人の快楽を生き、
ある種の国家は人々の快楽を生きる。
*。
ここに快楽の階型が発見された。
ただの快楽社会とその上のメタ社会快楽を持つ社会だ。
*。
何が違うんだろう。
静的世界では、人は自分の快楽を生きる。
動的世界では、人は世界の快楽を生きる。
つまりここでは生理的快楽を超えた、メタ快楽が現れた。
このメタ快楽を魂と呼べるかも知れない。
*。
生理階型には免疫があり、異物排除の喧嘩抗争を生きる。
平行線が交わる、多様性の世界には、これがない。
*。
即ち、これらは階型の違いであった。
即ち、ヨブ記の問題は、生理階型では解けない。
*。
同様に、善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
これは生理階型では解けない。
魂にあるメタ階型でこれは解ける。
*。
現在の人類は、二つの階型に存在する。
リアル階型とメタ階型だ。
魂のない世界と魂のある世界だ。
*。
魂のない世界の方が強い!
人を簡単に殺せるからだ。
| HOME |



