幸福と殺人は恒等式である

日本においては、幸福と殺人は恒等式である。
それは対偶であって、同じ事象の見方の違いである。

この世は善悪からなり、
それを善から見ることと悪から見ることで違う。

木下順二氏は、35年前に言っていた。
「…例えば病院で安穏に死んだかに見える人の場合にも、
現代のひずみによってその人が殺されたという側面があんることを見落としてはならないち同時に、
このひずんだ現代の中でのうのうと生きている私たちが殺す側に、
無意識のうちに加担しているという側面を見落としてはならない…」

    *。
日本人は多数の殺人をやっていながら、
そこに幸福を九割以上の人が認めている。

幸福と殺人が日本では一体化して言る。

*。
日本では殺人事件が起きると、
殺せ殺せの大合唱が起き、
これに幸せを感じるのだ。

*。
太平洋戦争では、日本人ばかりか多数の外国人を殺傷していながら、
これを殺人と認識できない。

天皇陛下万歳といって、自決した人が多数いる。

日本人は殺す側にいる自分を認識できない。

      *。
即ち、日本は妄想である。

妄想によって、これらをいい気分で行える。

*。
自殺や他殺の絶対値を取れば、
これは人の死ではなく、絶対幸福に昇華できるのではないか。

そのような絶対感情は妄想であることを知らないのではないか。

*。
ここに幸福はは殺人でである恒等式が成立する。

ここには絶対感情がある。
だがそれは現実にはない。

それは幸福を超えた世界と認識しているのではないか。

*。
この種の絶対感情は妄想と言わざるを得ない。

日本はいじめ殺しシステムである

交わらない平行線を取る、
即ち、お上日本は免疫システムであり、
これに逆らう人たちを、完全異物排除する。

ここに美しい日本が出来る。

*。
この日本は美しいか、美しくないか。

美しさのために美しくない人を、完全異物排除する。
ここにある美は美しさか醜悪か。
ここにある幸福や成功は、美しいか醜悪か。

  *。
ゲーデル階型を取る。

これらは美しいとも美しくないとも言える。
ただ一つ正しいことは、人には魂があることだ。

*。
日本人の美しさには魂があるか。

日本人の美しさに魂があるとすることは無矛盾である。
だがそれを証明することは出来ない。

魂のある美しさと魂のない美しさがあるからだ。

*。
日本には、自分を殺し、他人を殺し、世界を殺す死の本能を、
美として検出する。

日本人とは、死ぬことと見つけたり。

    *。
やっと戦後は終わったのかも知れない。

*。
過激派が現れ、通り魔が現れた。

彼らのやっていることの対偶を取る。
彼らをお上日本とする。

対偶を逆に取る。
つまり、彼らをお上日本とする。

*。
彼らのやっていることは、お上日本の完全排除だ。

即ち、日本をリセットしている。

彼らはお上殺し、即ち、日本殺しをやっている。

即ち、この後に、日本と国民の対等が現れる。

    *。
国家と国民の対等化が彼らのリセットだ。

国家が国民を完全支配するこれがお上体制だ。
これからの脱出をやっている。

*。
即ち、国家による国民のいじめ殺し支配を止めさせている。

このリセットでまともな日本となる。

仏教儒教は妄想である

仏教・儒教には、社会が存在していない。

人の心をゼロに還元すると、それは社会のない恍惚世界だ。

そこにいくら恍惚としても、そこには現世がない。
いや現世を離れた恍惚、
これは妄想と言わねばならない。

ここに現世の問題は、置き去りにされ、
即ち、現世を悪党に野放しされる。

そこは悪の世界だ。

それを離れていくらいい気分のなっても、
現世を遁走し、子宮の中に潜るようなことだ。

     *。
仏教や儒教は、子宮の中でいい気分のなることだ。

現世の喜怒哀楽を去った世界のいい気分、
これを桃源郷というのだろうか。

*。
こういうあり方もある。

だが人が現世を脱走しては、悪がはびこる世界にしかならない。

*。
人が現世を離れ、
そこに人はいい人になる。

人は皆いい人だ。
そこには現世がない。

    *。
ここには現世を逃亡した人々がいる。

仏教や儒教世界は、現実からの逃亡であった。

*。
葬式仏教は、死の世界を意味していまいか。

それは心の闇を、幸福にしてくれるのかも知れない。
しかも戒名に値段がある。
偉くなるには高度の戒名が必要だ。
死さえ売り物になっているのではないか。

*。
死を売り物にする仏教、正に死の世界だ。
これが文字どうりの冥土なのだろう。

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