世界は妄想である
ヨーロッパは絶えず、強いもの同士が殺し合いをしてきた。
東洋や日本は、強しもの同士の喧嘩は会ったが、
大体強いものが、弱いものをいじめて生きてきた。
すると現実は、強いもの同士の喧嘩に成立するのではないか。
強いものが弱いものをいじめる世界には、現実がない!
お山の大将が、弱いものをいじめ、威張っている。
これは幼い世界であり、現実を作るに至らなかった。
*。
即ち、日本に世界のいう現実がない。
即ち、妄想だ。
*。
大日本帝国は妄想ではないか。
皆で応援すれば勝てる。
それ自体が妄想ではないか。
一生懸命やれば勝てる。
そう思わないと勝負にならない。
それが妄想ではないか。
*。
どう見ても勝てないものを応援する。
それが現実の応援ではないか。
すると勝つとか勝たないとかでなく、
自己を充実させることが目的となる。
*。
日本人はそこまでに至っていない。
これが一人称衝動であろう。
*。
月は見なければない。
勝つだの負けるだののショートした見方だ。
第三者的に、自己を見えない。
月は見なくてもあるといえない。
即ち、一人称にショートしている。
*。
この世界に恐ろしさは、幸福と殺人が一体化していることだ。
これは誤った無である。
幸福と殺人が、パラレル・ワールドになっている。
*。
これが国家原理主義であり、
これを新自由主義グローバリゼーションといっていたのだ。
これは一人称衝動だ。
*。
理性原理主義は、こういうことではなかったか。
世界を殺すことを、目的としていた。
異物排除は、結局自己の異物排除だ。
自己否定の自己肯定を自己責任としていた。
*。
免疫の異物排除で、世界空間は作れない。
*。
人の思考精度を、もっと上げないと見えない。
思考精度を上げたゲーデル不動点思考だ。
ここに到達しない思考は、思考ではない。
*。
自由と正義の対偶は、強盗殺人である。
これが見えるゲーデル不動点だ。
そこに到達しないことによる妄想が、現代世界の問題だった。
*。
まだまだ人類はいろいろの妄想に覆われている。
東洋や日本は、強しもの同士の喧嘩は会ったが、
大体強いものが、弱いものをいじめて生きてきた。
すると現実は、強いもの同士の喧嘩に成立するのではないか。
強いものが弱いものをいじめる世界には、現実がない!
お山の大将が、弱いものをいじめ、威張っている。
これは幼い世界であり、現実を作るに至らなかった。
*。
即ち、日本に世界のいう現実がない。
即ち、妄想だ。
*。
大日本帝国は妄想ではないか。
皆で応援すれば勝てる。
それ自体が妄想ではないか。
一生懸命やれば勝てる。
そう思わないと勝負にならない。
それが妄想ではないか。
*。
どう見ても勝てないものを応援する。
それが現実の応援ではないか。
すると勝つとか勝たないとかでなく、
自己を充実させることが目的となる。
*。
日本人はそこまでに至っていない。
これが一人称衝動であろう。
*。
月は見なければない。
勝つだの負けるだののショートした見方だ。
第三者的に、自己を見えない。
月は見なくてもあるといえない。
即ち、一人称にショートしている。
*。
この世界に恐ろしさは、幸福と殺人が一体化していることだ。
これは誤った無である。
幸福と殺人が、パラレル・ワールドになっている。
*。
これが国家原理主義であり、
これを新自由主義グローバリゼーションといっていたのだ。
これは一人称衝動だ。
*。
理性原理主義は、こういうことではなかったか。
世界を殺すことを、目的としていた。
異物排除は、結局自己の異物排除だ。
自己否定の自己肯定を自己責任としていた。
*。
免疫の異物排除で、世界空間は作れない。
*。
人の思考精度を、もっと上げないと見えない。
思考精度を上げたゲーデル不動点思考だ。
ここに到達しない思考は、思考ではない。
*。
自由と正義の対偶は、強盗殺人である。
これが見えるゲーデル不動点だ。
そこに到達しないことによる妄想が、現代世界の問題だった。
*。
まだまだ人類はいろいろの妄想に覆われている。
日本には社会がない!
社会があるなしは、宗教によるだろう。
虐げられたものは幸いである。
これを心の交点とすれば、
人々の苦しみをコモンセンスとして、社会としての解を作る。
現世で苦しみ、来世で幸せになる。
そのために信心が必要だ。
これは苦しみと幸せを分離したことだ。
*。
日本の伝統思考では、
苦しみと幸せ合わせて無である。
ところが両方あわせて、無にならなくなった。
喜び組みと不幸組みが対立するようになった。
これが立身出世だろう。
*。
お母さんにために家を建てる。
この考えが、幸福と不幸を対立させたのではないか。
国家の健全を求めて、幸福と不幸を対立させた。
*。
大日本帝国は、国家を発振させた。
そこで国民は喜びを共有した。
だがそれは日本が幸せになり、世界を不幸にすることだった。
これが発振系の不安定構造だ。
*。
戦後、社会党が出来て、
日本は負帰還政治経済体制となった。
これが一億総中流の世界の奇跡を作った。
ここでは皆が幸せだった。
*。
だが立身出世の思想は、皆の幸せは許せなかった。
自由と平等は、格差の自由と平等になった。
これが自己責任論であろう。
自己責任は、格差の自由と平等の言い換えだ。
即ち、自己否定を自己肯定とすることを、自己責任といったのだ。
*。
かくして日本は、権力と無力の対立集団となった。
弱いものが強いものに、命乞いするのだ。
お願いします、殺さないで下さい。
それならそれなりに働くのだぞ。
これが自己責任論だ。
*。
だがこれが秀吉体制だ。
日本幕府だ。
*。
すっかり負帰還体制は壊され、
弱者の命乞い体制となった。
*。
日本には社会がない。
それが世間であり、人情世間体だ。
人はこれを喜びとしていた。
*。
お上に折伏されることを、喜びとしていた。
これを宗教としていた。
自然には命が輝き、日本幕府は苦しみの世界だ。
幸せは来世で掴め。
社会がないとこうなるのだろう。
*。
我々は西欧から社会を学んだ。
だがそれを実現するのは容易ではない。
日本には社会体質がない。
そこで人々は共産主義を求めたのだろう。
だがそれを実現する手段もない。
*。
そこで日本忍者は、
人類全体を負のエントロピーを食べる世界にしようとする訳だ。
それが西田哲学や朝永物理学で、用意されている。
人類全体を、背負い投げ一本、逆方向にひっくり返す。
だがもともと人類はそうできていた。
人類の死の儀式から生の祭典へ、
これが日本忍者の仕事だ。
虐げられたものは幸いである。
これを心の交点とすれば、
人々の苦しみをコモンセンスとして、社会としての解を作る。
現世で苦しみ、来世で幸せになる。
そのために信心が必要だ。
これは苦しみと幸せを分離したことだ。
*。
日本の伝統思考では、
苦しみと幸せ合わせて無である。
ところが両方あわせて、無にならなくなった。
喜び組みと不幸組みが対立するようになった。
これが立身出世だろう。
*。
お母さんにために家を建てる。
この考えが、幸福と不幸を対立させたのではないか。
国家の健全を求めて、幸福と不幸を対立させた。
*。
大日本帝国は、国家を発振させた。
そこで国民は喜びを共有した。
だがそれは日本が幸せになり、世界を不幸にすることだった。
これが発振系の不安定構造だ。
*。
戦後、社会党が出来て、
日本は負帰還政治経済体制となった。
これが一億総中流の世界の奇跡を作った。
ここでは皆が幸せだった。
*。
だが立身出世の思想は、皆の幸せは許せなかった。
自由と平等は、格差の自由と平等になった。
これが自己責任論であろう。
自己責任は、格差の自由と平等の言い換えだ。
即ち、自己否定を自己肯定とすることを、自己責任といったのだ。
*。
かくして日本は、権力と無力の対立集団となった。
弱いものが強いものに、命乞いするのだ。
お願いします、殺さないで下さい。
それならそれなりに働くのだぞ。
これが自己責任論だ。
*。
だがこれが秀吉体制だ。
日本幕府だ。
*。
すっかり負帰還体制は壊され、
弱者の命乞い体制となった。
*。
日本には社会がない。
それが世間であり、人情世間体だ。
人はこれを喜びとしていた。
*。
お上に折伏されることを、喜びとしていた。
これを宗教としていた。
自然には命が輝き、日本幕府は苦しみの世界だ。
幸せは来世で掴め。
社会がないとこうなるのだろう。
*。
我々は西欧から社会を学んだ。
だがそれを実現するのは容易ではない。
日本には社会体質がない。
そこで人々は共産主義を求めたのだろう。
だがそれを実現する手段もない。
*。
そこで日本忍者は、
人類全体を負のエントロピーを食べる世界にしようとする訳だ。
それが西田哲学や朝永物理学で、用意されている。
人類全体を、背負い投げ一本、逆方向にひっくり返す。
だがもともと人類はそうできていた。
人類の死の儀式から生の祭典へ、
これが日本忍者の仕事だ。
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