国家の崩壊 究極の免疫
国家原理主義は、免疫原理で作られた世界だ。
即ち、国家が絶対に正しく、反対を完全に排除する世界だ。
お上国家のあり方だ。
ヨーロッパは、国家と国民の平衡機能によって、これを同一化した。
即ち、国家と国民が交わる平行線となった。
ここに負帰還型社会が成立し、
弱者を餓死させないこととなった。
*。
免疫の究極を考えよう。
国家が絶対であると、国民は絶対に棄民される。
すると国民のいない国家が国家原理主義の理想となる。
ここまで来ると国民から税金も取れなくなる。
*。
即ち、究極の国家原理主義は、ガンとなる。
すべての国民を食いつぶし、そして死ぬ。
*。
自己否定の究極は、ガンであり、死滅する。
*。
今のお上日本は、ここまで来たのではないか。
国際競争に勝ち残るビッグバンであったが、
その対偶は国家の破壊であり、
そのため突出した大企業であったが、
それは日本の破壊であった。
*。
この文脈で、日本大恐慌は、日本の破壊であろう。
景気後退でなく、日本国家の再建であろう。
政治や官僚や企業はガンとなり、日本破壊を生きている。
このガンに殺されないことが今の日本の課題であろう。
これは政権交代のようなものを超えたことだ。
世界も生存体質の改革を求められている。
*。
競争経済でなく、共存経済だ。
ここに免疫原理を超えた、多様性世界が開かれる。
世界がマルチチャンネルのクロスオーバーを求めている。
これが生態原理だ。
これは免疫競争でなく、生態系原理への変更を意味する。
*。
これが世界同時に起きている。
世界は国家天動説を超え、人間地動説に入った。
世界で起きていることは、文明の改革であった。
即ち、負のエントロピーを食べる世界への進化だ。
そこで日本忍者のお出ましだ。
*。
お上体質の変革だ。
それを世界と同時にやる。
それが朝永のくりこみ理論であり、背負い投げメソッドだ。
即ち、国家が絶対に正しく、反対を完全に排除する世界だ。
お上国家のあり方だ。
ヨーロッパは、国家と国民の平衡機能によって、これを同一化した。
即ち、国家と国民が交わる平行線となった。
ここに負帰還型社会が成立し、
弱者を餓死させないこととなった。
*。
免疫の究極を考えよう。
国家が絶対であると、国民は絶対に棄民される。
すると国民のいない国家が国家原理主義の理想となる。
ここまで来ると国民から税金も取れなくなる。
*。
即ち、究極の国家原理主義は、ガンとなる。
すべての国民を食いつぶし、そして死ぬ。
*。
自己否定の究極は、ガンであり、死滅する。
*。
今のお上日本は、ここまで来たのではないか。
国際競争に勝ち残るビッグバンであったが、
その対偶は国家の破壊であり、
そのため突出した大企業であったが、
それは日本の破壊であった。
*。
この文脈で、日本大恐慌は、日本の破壊であろう。
景気後退でなく、日本国家の再建であろう。
政治や官僚や企業はガンとなり、日本破壊を生きている。
このガンに殺されないことが今の日本の課題であろう。
これは政権交代のようなものを超えたことだ。
世界も生存体質の改革を求められている。
*。
競争経済でなく、共存経済だ。
ここに免疫原理を超えた、多様性世界が開かれる。
世界がマルチチャンネルのクロスオーバーを求めている。
これが生態原理だ。
これは免疫競争でなく、生態系原理への変更を意味する。
*。
これが世界同時に起きている。
世界は国家天動説を超え、人間地動説に入った。
世界で起きていることは、文明の改革であった。
即ち、負のエントロピーを食べる世界への進化だ。
そこで日本忍者のお出ましだ。
*。
お上体質の変革だ。
それを世界と同時にやる。
それが朝永のくりこみ理論であり、背負い投げメソッドだ。
よく分からないが良く分かる
罪刑法定主義、
日本では検察求刑の八賭けで刑罰が決まる。
これが99%そうなる。
日本ではすべてが冤罪であり、冤罪の程度が違うだけだ。
そういう考えも成り立つ。
*。
日本の裁判は、よく分からないことが、はっきりしている。
日本は良く分からないカオスにあるが、その結果は決定論である。
即ち、カオスを決定論でまとめる。
これが人情世間体であろう。
*。
仏教では偉い人が悟りを開く。
すると大衆はこの悟りを実行すればいい。
ここに自分で考えない人が現れた。
*。
するとここに自分で考える悪党が現れ、やりたい放題になった。
偉い人も大衆も、ここに関係できない。
*。
人は偉い人と共に揺れ、それに呑み込まれることが生き方だ。
これが偉い人の悟りを、実践することだ。
*。
自分で考えるより、偉い人を真似た方がいい。
ここに悪党野放し世界が生まれた。
人々は分断され、人の悩みをコモンセンス化せず、
社会としての解を取ることがない。
*。
即ち、偉い人と悪党は対偶であり、
両者ワンセットで、世界が成立する。
多くの人はどう生活するのだろう。
*。
悪党に食い物にされては、偉い人の話で癒される。
ここに現実は悪、気持ちはいい気分の世界が生まれた。
*。
ここに自己否定を自己肯定とする自己責任世界が生まれた。
これが良く分からないが、よく分かるパラドックスの本質ではないか。
ここに日本はしてやられた。
*。
即ち、いい気分で残酷をする切り裂かれた世界が出来た。
即ち、日本は偽善と欺瞞の演技の世間である。
*。
自分で考えない世間の恐怖だ。
自分で考えてもいい結果になるとは限らない。
だがその究極に、人の悩みをコモンセンスとし、
そこに社会としての解を求める。
*。
この社会は却って暴力的になることもあるが、
人の能力の限界を求めることになる。
人の能力の限界で生きるか、究極の悟りを生きるか。
*。
どっちが現実的か。
現実を生きているのか、妄想を生きているのか。
日本のあいまい性は、
現実放棄の言い訳ではないか。
お上世間はこの問題を世界から突きつけられている。
*。
あいまいは知恵の一種か、悪業か。
不確定性原理、
知恵を取ると世界が失われ、
世界を取ると知恵が失われる。
*。
知恵は脳の問題だが、
それを超えたゲーデル不変性が現れた。
人か世界か、
ここに不確定性があった。
これを切り抜ける知恵を授かった。
*。
これた負のエントロピーを生きる新世界だ。
日本では検察求刑の八賭けで刑罰が決まる。
これが99%そうなる。
日本ではすべてが冤罪であり、冤罪の程度が違うだけだ。
そういう考えも成り立つ。
*。
日本の裁判は、よく分からないことが、はっきりしている。
日本は良く分からないカオスにあるが、その結果は決定論である。
即ち、カオスを決定論でまとめる。
これが人情世間体であろう。
*。
仏教では偉い人が悟りを開く。
すると大衆はこの悟りを実行すればいい。
ここに自分で考えない人が現れた。
*。
するとここに自分で考える悪党が現れ、やりたい放題になった。
偉い人も大衆も、ここに関係できない。
*。
人は偉い人と共に揺れ、それに呑み込まれることが生き方だ。
これが偉い人の悟りを、実践することだ。
*。
自分で考えるより、偉い人を真似た方がいい。
ここに悪党野放し世界が生まれた。
人々は分断され、人の悩みをコモンセンス化せず、
社会としての解を取ることがない。
*。
即ち、偉い人と悪党は対偶であり、
両者ワンセットで、世界が成立する。
多くの人はどう生活するのだろう。
*。
悪党に食い物にされては、偉い人の話で癒される。
ここに現実は悪、気持ちはいい気分の世界が生まれた。
*。
ここに自己否定を自己肯定とする自己責任世界が生まれた。
これが良く分からないが、よく分かるパラドックスの本質ではないか。
ここに日本はしてやられた。
*。
即ち、いい気分で残酷をする切り裂かれた世界が出来た。
即ち、日本は偽善と欺瞞の演技の世間である。
*。
自分で考えない世間の恐怖だ。
自分で考えてもいい結果になるとは限らない。
だがその究極に、人の悩みをコモンセンスとし、
そこに社会としての解を求める。
*。
この社会は却って暴力的になることもあるが、
人の能力の限界を求めることになる。
人の能力の限界で生きるか、究極の悟りを生きるか。
*。
どっちが現実的か。
現実を生きているのか、妄想を生きているのか。
日本のあいまい性は、
現実放棄の言い訳ではないか。
お上世間はこの問題を世界から突きつけられている。
*。
あいまいは知恵の一種か、悪業か。
不確定性原理、
知恵を取ると世界が失われ、
世界を取ると知恵が失われる。
*。
知恵は脳の問題だが、
それを超えたゲーデル不変性が現れた。
人か世界か、
ここに不確定性があった。
これを切り抜ける知恵を授かった。
*。
これた負のエントロピーを生きる新世界だ。
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