知と無知の不確定性原理

ねずみ講が成り立たないことは誰でも知っている。
だがこれが行われると、これに加わる。
歴史的知恵より、現世利益の方が人を支配するからだ。

戦争の教訓もそうだ。

*。
勝つか負けるか。
これは現在であり、現在がすべてとなる。
これが人の傾向だ。

今やらなくてはならない、それはウソだ。

だが人は、「今・ここ・これ」に呑み込まれる。

      *。
月は見なければない。

これは「今・ここ・これ」症候群だ。

優しさと残酷は、ここで交わる。
これが国家原理主義だ。

*。
これは心の不動点でなく、心の特異点だ。
即ち、自己を消滅させる。

交わらない平行線の世界では、
そのパラレル・ワールドとして、特異点で心は交わるのだ。

これは対偶恒等式でもある。

特異点で交わらないようにする時、不動点を取る。

    *。
ここに免疫と生態系の両立がある。
どっちも必要で、やり方で害を与える。

生態を免疫すれば、皆死ぬ。

生態と免疫の不確定性原理が認識される。

*。
生態と免疫は、パラドックスでもある。

免疫を行うことは、生態の破壊である。
生態を行うことは、免疫の破壊である。

両方成り立つようにするには、
知性の複合が必要で、理性にこれは成り立たない。
これは不確定性原理の世界だ。

*。
免疫+i生態=複合知性が必要だ。

これで世界はベクトル化され、スカラーを去る。

免疫は量であり、生態は方向である。
両者の複合がベクトルだ。

      *。
この方向に、生の祝典が成立する。
殺し合うことは、排除する。
それには人類を生に同一化せねばならない。
方向を揃えることだ。

*。
ここでは悪で金を稼ぐことは排除される。

ここで金より生の祝典が生き甲斐となる。

*。
金権怪獣は、死の儀式であった。

世界が壊れても、自己の生存が優先される。
即ち、死の儀式だ。

そこでは人々が潰し合い、殺し合う。

人類は死の儀式を生きていた。

*。
死は生を存在不可能にする可能でだった。
即ち、これがナチズムであろう。

まだ人類は死の儀式を排除していなかった。

    *。
パラレル・ワールドは表に美しいものを集め、裏に怖いものを集める。

ところが、裏を美しく飾る感動物語がはやりだした。

表を汚くし、裏を綺麗にする。

*。
これをやると悪党に現実を任せることになる。

アナムネーシスは被害妄想であり、誇大妄想だ。
現実をますます悪くする。

*。
ここに現世を良くする生の祝典が始まる。

アナムネーシスは、現世を悪くする方法だ。
それは対偶である訳だ。

*。
ここの現実に留まり、現実を良くする生の原理が発見された。

アナムネーシスは、現世の否定だった。

国民は国家である

国家の問題を、
心の問題に還元し、
国家の矛盾を野放しし、
国民に事件を起こさせ、
国家問題を国民問題にすり替え、
国家に指一本触れさえない。

かくして国家は永遠と妄想させる。
これが秀吉原理主義だ。

秀吉は、ここに永遠の命を設定した。
秀吉死しても、日本は死なず。

   *。
日本の矛盾、即ち、オウム真理教や通り魔やいじめ殺しに吐き出せ、
彼らを殺し、日本の矛盾、即ち、国家原理主義をバイパスする。

かくして日本は絶対に正しいのであり、
それに逆らうものが完全に間違っているとする。

*。
即ち、日本は完全に間違っていて、それを絶対に問題にさせない。

日本の完全性は、日本の不完全性であり、
それを完全に隠蔽する。

日本の不完全性を日本の完全性に隠蔽する。
即ち、日本の否定を、日本の肯定とすることを自己責任とするのだ。

*。
このトリックは、対偶恒等式を取れば一目瞭然だ。
日本にはこのトリックと解く論理がない。

    *。
日本の完全の対偶は、日本の不完全だ。

そこで日本の不完全性は、日本の完全性だと摩り替える。
そして日本の完全性を維持するのは、国民の責任だとする。

これで不完全が完全と摩り替わり、このトリックを読めない。

*。
即ち、自己否定を肯定することは、日本人の自己責任となる。
否定は肯定と摩り替わり、肯定しか見えなくなる。

対偶恒等式が分かっていれば、このすり替えは成立しない。

だがそういえば、人類も同じようである。

絶対国家と国民国家

国家には二種類あった。

平行線が交わらない、
即ち、免疫で出来た異物排除の国家だ。
これが国家原理主義だ。
国家が国家の異物排除で成り立つ。

もう一つは交わる平行線、即ち相対性国家だ。
国家と国民が、共通の心にまとまる。

*。
この国家の見方のもう一つの視点は、
国家が発振=正帰還しているか、負帰還しているかだ。

国家原理主義は、世界をばらばらにすることで成立する。
これは国家がスカラーであることだ。
この国家は死の儀式を行う。

国民国家は、民族を一つにするベクトル構成だ。
これはその民族の生の祝典を求める。
これは負帰還の特性だ。

      *。
国民国家と絶対国家の両立する世界だ。

即ち、国家全体の総和は、人間性と関係がない。
即ち、国家と人間性に不確定性原理が成り立つ。

*。
絶対国家と国民国家は、免疫系と生態系で、存在位相が違う。
ばらばら系とまとまり系が一つになる国連、
国連では免疫系の問題しか扱えない。

国連は人から心を抜いた、身体だけを扱う。
核廃絶は、身体系の問題だから扱える。

国連は人間性を扱う世界ではないことが分かる。

    *。
人間性は国連の問題ではない。

例えば、アイヒマンがイスラエル人であった時、
イスラエルはアイヒマンを絞首刑にするだろうか。

オウム真理教とお上日本は自己同型写像だ。
即ち、等価同型だ。
日本国の成立に、オウム真理教を死刑にする。
そうしないとお上日本は成り立たない。

これが絶対国家の問題だ。

*。
国家が人間性を論じることは出来ない。

国家と人間性は不確定性原理だ。
人間性は負帰還世界にしか存在しない。
人間性は負帰還の世界のことだ。

これが免疫系と生態系の違いだ。
即ち、接点のない平行線と接点のある平行線の違いだ。

*。
接点のある平行線は、国民国家となり、
あらゆる国家に、心の接点を作る。

即ち、絶対国家には心がない。

Powered by FC2 Blog

FC2Ad

FC2ブログ 専門学校
Copyright © ジャパン ボーイ All Rights Reserved.