仏教や秀吉は日本に何をしたか?
秀吉は日本に何をしたか。
ポジティブ・シンキングで、いいことばかり取り上げられている。
対偶を取って、マイナスを考えたらどうなるだろう。
*。
秀吉で考えれば、
草履伝説の悪魔のお菓子で、日本を吊り上げ、ずたずたにした。
草履伝説は殺人に成立していた。
それを考えなくていいはずがない。
*。
では仏教は日本に何をもたらしたか。
今や葬式仏教・観光仏教・宿屋仏教…といわれる。
正に冥土の世界だ。
しかも冥土に行くに金が掛かる。
これに日本人は疑問を感じない。
嫌感じても、どうにもならない。
*。
日本は仏教によって、分断され、孤立され、
格差に、崩壊し、衰退していまいか。
戦争にも積極的といわれた。
日本をずたずたにしていまいか。
*。
対偶恒等式で考えると、
いいことやればいいことのが出来る訳ではない。
悪いことに揺られれば、悪いことに呑み込まれる。
ここに死の儀式がある。
それはなんだかよく分からないが、よく分かる現象でもある。
悪いことをやれば、悪に揺れ続け、悪に呑み込まれる。
*。
ではいいことをやれば、いいことに呑み込まれるだろうか。
ここに世界空間の歪みがある。
歪みに不変式と特異点がある。
この識別が出来ていないのではないか。
*。
自分を豊かにすることと、自分を削除すること。
大日本帝国は、自分を豊かにしようとして、自分を削除した。
*。
美しい日本は、自己の削除であった。
いいことをすれば、いい世界が出来る。
そうはなっていない。
いいことをすることと、いい結果を出すことは違う。
*。
初期条件に対する鋭敏な依存性、
カオスの考えだが、これを考慮していない。
美しい日本を作ろうとしても、
始めよくても、途中から急激に自己否定に陥る。
今世界がそれに振り回されている。
*。
美しい日本を作ろうとして、日本は急激に悪くなった。
いいことをやればいいことが出来るのではない。
対偶恒等式を考えなければならない。
*。
直情では、世界に対応しない。
それは心のない世界を開く。
即ち、死の儀式を呼び起こす。
快楽を追っては、快楽を作れない。
ポジティブ・シンキングで、いいことばかり取り上げられている。
対偶を取って、マイナスを考えたらどうなるだろう。
*。
秀吉で考えれば、
草履伝説の悪魔のお菓子で、日本を吊り上げ、ずたずたにした。
草履伝説は殺人に成立していた。
それを考えなくていいはずがない。
*。
では仏教は日本に何をもたらしたか。
今や葬式仏教・観光仏教・宿屋仏教…といわれる。
正に冥土の世界だ。
しかも冥土に行くに金が掛かる。
これに日本人は疑問を感じない。
嫌感じても、どうにもならない。
*。
日本は仏教によって、分断され、孤立され、
格差に、崩壊し、衰退していまいか。
戦争にも積極的といわれた。
日本をずたずたにしていまいか。
*。
対偶恒等式で考えると、
いいことやればいいことのが出来る訳ではない。
悪いことに揺られれば、悪いことに呑み込まれる。
ここに死の儀式がある。
それはなんだかよく分からないが、よく分かる現象でもある。
悪いことをやれば、悪に揺れ続け、悪に呑み込まれる。
*。
ではいいことをやれば、いいことに呑み込まれるだろうか。
ここに世界空間の歪みがある。
歪みに不変式と特異点がある。
この識別が出来ていないのではないか。
*。
自分を豊かにすることと、自分を削除すること。
大日本帝国は、自分を豊かにしようとして、自分を削除した。
*。
美しい日本は、自己の削除であった。
いいことをすれば、いい世界が出来る。
そうはなっていない。
いいことをすることと、いい結果を出すことは違う。
*。
初期条件に対する鋭敏な依存性、
カオスの考えだが、これを考慮していない。
美しい日本を作ろうとしても、
始めよくても、途中から急激に自己否定に陥る。
今世界がそれに振り回されている。
*。
美しい日本を作ろうとして、日本は急激に悪くなった。
いいことをやればいいことが出来るのではない。
対偶恒等式を考えなければならない。
*。
直情では、世界に対応しない。
それは心のない世界を開く。
即ち、死の儀式を呼び起こす。
快楽を追っては、快楽を作れない。
紫式部は生きている!
光源氏はいつの時代の人ですか。
こういう質問が時々現れる。
源氏物語のあまりの生々しさに、
実話だと思う人がいる。
主人公の顔まで浮かんでくる。
これがホログラフィー・イマジネーションだろう。
*。
源氏物語は、仮想現実の話だが、現実との区別がつかなくなる。
現実と幻想が、一体となるドラマがある。
これが現代人の失ったリアリティであろう。
偽のリアリティをリアリティとしているのだ。
*。
源氏物語は、生の祭典だ。
生きている実感の失われなかった時の話だ。
だが源氏物語にこれが再現される。
その頃は喪失感や無力感はなかった。
現実と幻想が一体になる。
*。
現代は真善美で、世界を再現した。
少なくも再現しようとした。
そこで人の生命感が失われた。
生きていることを、別のドラマで再現しようとした。
そこに疎外感が現れた。
生きることとそれを再現することが、別次元となり、
それを合わせて、生は実現されなくなった。
生きている実感が失われた。
これが豊かさであった。
いくら豊かになっても、生きている実感は再現されない。
これが閉塞感であり、心の闇だ。
それが生の喪失であり、死の儀式だ。
*。
人が生を失わなかった頃の世界は、源氏物語に再現される。
それは源氏物語は、生の祭典だからだ。
だが辛いことの方が多かった。
でも生きている実感はあった。
これを軸に、生は再現される。
生の再現で生きていることがすばらしくなることではない。
これが日本忍者の仕事だ。
だが源氏物語は、いじめ殺しに始まり、いじめ殺しに終わる。
そのあわいに、生のホログラフィー・イマジネーションが再現されるのだろう。
こういう質問が時々現れる。
源氏物語のあまりの生々しさに、
実話だと思う人がいる。
主人公の顔まで浮かんでくる。
これがホログラフィー・イマジネーションだろう。
*。
源氏物語は、仮想現実の話だが、現実との区別がつかなくなる。
現実と幻想が、一体となるドラマがある。
これが現代人の失ったリアリティであろう。
偽のリアリティをリアリティとしているのだ。
*。
源氏物語は、生の祭典だ。
生きている実感の失われなかった時の話だ。
だが源氏物語にこれが再現される。
その頃は喪失感や無力感はなかった。
現実と幻想が一体になる。
*。
現代は真善美で、世界を再現した。
少なくも再現しようとした。
そこで人の生命感が失われた。
生きていることを、別のドラマで再現しようとした。
そこに疎外感が現れた。
生きることとそれを再現することが、別次元となり、
それを合わせて、生は実現されなくなった。
生きている実感が失われた。
これが豊かさであった。
いくら豊かになっても、生きている実感は再現されない。
これが閉塞感であり、心の闇だ。
それが生の喪失であり、死の儀式だ。
*。
人が生を失わなかった頃の世界は、源氏物語に再現される。
それは源氏物語は、生の祭典だからだ。
だが辛いことの方が多かった。
でも生きている実感はあった。
これを軸に、生は再現される。
生の再現で生きていることがすばらしくなることではない。
これが日本忍者の仕事だ。
だが源氏物語は、いじめ殺しに始まり、いじめ殺しに終わる。
そのあわいに、生のホログラフィー・イマジネーションが再現されるのだろう。
日本宣言 日本は量子力学である
大阪万博のテーマは、進歩と調和であった。
西欧人曰く、矛盾した考えだ。
進歩を図れば調和は消え、調和を求めれば進歩が消える。
でもこれが日本の世界宣言だったのではないか。
日本人には何でもないことと思える。
それは考えが浅いのかも知れない。
月を見なければないという考えかもしれない。
*。
だがこれが絶対矛盾の自己同一化だ。
それは本質のない現象論かも知れない。
ただの画餅かも知れない。
*。
理論理性で考えられない話だ。
理論理性では支離滅裂だが、それを超えた世界の話かも知れない。
進歩は人間の位置の問題で、調和は人の運動量の問題だ。
こう出来れば、これは不確定性原理の問題となる。
*。
生理的人間と知性的人間は、不確定性原理で結合されている。
日本は量子力学に存在していた!
世界はニュートン力学に存在していた。
*。
このような形になれば、問題はない。
人のは出来ることと出来ないことがある。
ここで唯一つ正しいことは、人には心があることだ。
人に不都合な問題は、解決すればよい。
だがこれほど不都合な問題はない。
誰がこんな考えを認めたのか。
人は世界の神か。
そうでないことは確かだ。
人は世界の主体ではない。
*。
人は世界に従って生きている。
世界の支配者は、今のところゲーデル不変式だ。
これに合わせないと、人は特異点として消される。
*。
人はゲーデル特異点として消されるか、
ゲーデル不変式を生きるか。
ここに人が生きることが定義された。
*。
それに歯向かえば、世界から消される。
免疫原理で進歩、生態原理で調和なら、問題はない。
*。
日本人は初めから世界の量子力学だった。
だからニュートン力学をやると、お上日本が出来るのだ。
*。
日本はニュートン力学と量子力学に切り裂かれていた。
そこに偽善と欺瞞の演技をするお上日本と、
それを超えた和歌を歌う真日本があった。
これが世界を呑み込んで、ここから生の式典が始まる。
西欧人曰く、矛盾した考えだ。
進歩を図れば調和は消え、調和を求めれば進歩が消える。
でもこれが日本の世界宣言だったのではないか。
日本人には何でもないことと思える。
それは考えが浅いのかも知れない。
月を見なければないという考えかもしれない。
*。
だがこれが絶対矛盾の自己同一化だ。
それは本質のない現象論かも知れない。
ただの画餅かも知れない。
*。
理論理性で考えられない話だ。
理論理性では支離滅裂だが、それを超えた世界の話かも知れない。
進歩は人間の位置の問題で、調和は人の運動量の問題だ。
こう出来れば、これは不確定性原理の問題となる。
*。
生理的人間と知性的人間は、不確定性原理で結合されている。
日本は量子力学に存在していた!
世界はニュートン力学に存在していた。
*。
このような形になれば、問題はない。
人のは出来ることと出来ないことがある。
ここで唯一つ正しいことは、人には心があることだ。
人に不都合な問題は、解決すればよい。
だがこれほど不都合な問題はない。
誰がこんな考えを認めたのか。
人は世界の神か。
そうでないことは確かだ。
人は世界の主体ではない。
*。
人は世界に従って生きている。
世界の支配者は、今のところゲーデル不変式だ。
これに合わせないと、人は特異点として消される。
*。
人はゲーデル特異点として消されるか、
ゲーデル不変式を生きるか。
ここに人が生きることが定義された。
*。
それに歯向かえば、世界から消される。
免疫原理で進歩、生態原理で調和なら、問題はない。
*。
日本人は初めから世界の量子力学だった。
だからニュートン力学をやると、お上日本が出来るのだ。
*。
日本はニュートン力学と量子力学に切り裂かれていた。
そこに偽善と欺瞞の演技をするお上日本と、
それを超えた和歌を歌う真日本があった。
これが世界を呑み込んで、ここから生の式典が始まる。
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