負帰還としてのベーシック・インカム
生産・販売・消費をアンプリファイアーとし、
その負帰還として、
基本所得や年金を入れる。
この負帰還回路に官僚や役人を入れる。
官僚や役人は、全員徴兵制の如く扱いとする。
ここにプロフェッショナルは置かない。
仕事にはプロがある。
失業があれば、役人として採用する。
そうしないものには、基本所得を保証する。
*。
ここで登校拒否・フリーターは新世界を作る。
彼らが生きるに相応しい社会が出来る。
現代の文明崩壊を妥当化するには、
世界の組み換えが必要だ。
*。
これで社会はスタビライズ=安定化する。
その負帰還として、
基本所得や年金を入れる。
この負帰還回路に官僚や役人を入れる。
官僚や役人は、全員徴兵制の如く扱いとする。
ここにプロフェッショナルは置かない。
仕事にはプロがある。
失業があれば、役人として採用する。
そうしないものには、基本所得を保証する。
*。
ここで登校拒否・フリーターは新世界を作る。
彼らが生きるに相応しい社会が出来る。
現代の文明崩壊を妥当化するには、
世界の組み換えが必要だ。
*。
これで社会はスタビライズ=安定化する。
ゲーデル定理の意味
日本ではウソと真実の区別がない。
即ち、月を見なけれが月はない。
言葉が現実になっている。
即ち、現実がない。
これが一人称衝動意識である。
ここに現実のない現実がある。
仮想現実が、現実を代行している。
空想や妄想と現実の区別がない。
即ち、月を見なければ月はない。
これは妄想だ。
反対されると、これを潰さねばならない。
これが一人称衝動を残酷にする。
それは妄想だから。
優しさは反対に残酷になる道理だ。
*。
日本人は、言葉と持っていなかった。
外国から導入した。
見たものがすべてになる症状こそ、一人称衝動だ。
多くの日本人に、言葉はこのように機能する。
言葉を使いこなしていない訳だ。
言葉は一人称衝動のインデックスだ。
*。
ここに言葉のインデックス性と、運動量の違いを認識する。
ここに単なる書き言葉と、運動量としての言葉の違いが明らかになる。
*。
私はウソは申しません。
これは単なる言葉だ。
これを現実の運動量に変換する。
何故そういう必要があったのか。
これが現実だ。
*。
ある人が言った言葉は、現実でウソか本当か。
言葉空間では決定不能である。
だがゲーデルの不完全性定理によって、
この場合でも、唯一つ正しい現実が存在する。
何故そういう発言をしたか。
これで言葉は現実の運動量になる。
ウソを言う必要は、現実の問題である。
*。
即ち、何故そういったか。
これが唯一つ存在する、現実である。
これで言語空間と現実空間が分離される。
即ち、唯一つ存在する現実が現れる。
ここで言葉に逃げ込まない。
これが出来る日本は、月を見なけれがない日本である。
即ち、言語空間が、現実になっている。
即ち、月を見なけれが月はない。
*。
月を見なければ月はない、
これが妄想であることが分かる。
だから反対を排除しなければ妄想は生きられない。
*。
月を見なければ、月はない。
これはも妄想であった。
*。
日本人は妄想の中に住んでいる
妄想はそれが妄想であることを認識できない。
妄想は袋小路である。
*。
ウソの中にこそ真実がある。
これは紫式部の認識である。
紫式部は、言語空間と現実空間の間に不確定性原理があることを知っていた。
言語は位置、現実は運動量である。
二つは全く違う世界である。
*。
リアリティは不確定性原理に立たない限り、認識されない。
リアリティは言語空間にはない。
この混同で、人の意識は妄想になった。
これが疎外感や閉塞感や心の闇である。
*。
夢と希望は、ウソを用いて意識を展開することだ。
何故ウソをつく必要があったのか。
夢と希望は、妄想であったことが分かる。
現実は妄想で展開できるが、
これは出来ないことややってはならないことであった。
*。
夢と希望、成功や幸福は、悪魔のお菓子であった。
これは大人になった人には許されない。
即ち、月を見なけれが月はない。
言葉が現実になっている。
即ち、現実がない。
これが一人称衝動意識である。
ここに現実のない現実がある。
仮想現実が、現実を代行している。
空想や妄想と現実の区別がない。
即ち、月を見なければ月はない。
これは妄想だ。
反対されると、これを潰さねばならない。
これが一人称衝動を残酷にする。
それは妄想だから。
優しさは反対に残酷になる道理だ。
*。
日本人は、言葉と持っていなかった。
外国から導入した。
見たものがすべてになる症状こそ、一人称衝動だ。
多くの日本人に、言葉はこのように機能する。
言葉を使いこなしていない訳だ。
言葉は一人称衝動のインデックスだ。
*。
ここに言葉のインデックス性と、運動量の違いを認識する。
ここに単なる書き言葉と、運動量としての言葉の違いが明らかになる。
*。
私はウソは申しません。
これは単なる言葉だ。
これを現実の運動量に変換する。
何故そういう必要があったのか。
これが現実だ。
*。
ある人が言った言葉は、現実でウソか本当か。
言葉空間では決定不能である。
だがゲーデルの不完全性定理によって、
この場合でも、唯一つ正しい現実が存在する。
何故そういう発言をしたか。
これで言葉は現実の運動量になる。
ウソを言う必要は、現実の問題である。
*。
即ち、何故そういったか。
これが唯一つ存在する、現実である。
これで言語空間と現実空間が分離される。
即ち、唯一つ存在する現実が現れる。
ここで言葉に逃げ込まない。
これが出来る日本は、月を見なけれがない日本である。
即ち、言語空間が、現実になっている。
即ち、月を見なけれが月はない。
*。
月を見なければ月はない、
これが妄想であることが分かる。
だから反対を排除しなければ妄想は生きられない。
*。
月を見なければ、月はない。
これはも妄想であった。
*。
日本人は妄想の中に住んでいる
妄想はそれが妄想であることを認識できない。
妄想は袋小路である。
*。
ウソの中にこそ真実がある。
これは紫式部の認識である。
紫式部は、言語空間と現実空間の間に不確定性原理があることを知っていた。
言語は位置、現実は運動量である。
二つは全く違う世界である。
*。
リアリティは不確定性原理に立たない限り、認識されない。
リアリティは言語空間にはない。
この混同で、人の意識は妄想になった。
これが疎外感や閉塞感や心の闇である。
*。
夢と希望は、ウソを用いて意識を展開することだ。
何故ウソをつく必要があったのか。
夢と希望は、妄想であったことが分かる。
現実は妄想で展開できるが、
これは出来ないことややってはならないことであった。
*。
夢と希望、成功や幸福は、悪魔のお菓子であった。
これは大人になった人には許されない。
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